ビジネスジャーナルに連載している、碓井広義「ひとことでは言えない」。
今回は、小島慶子さんの小説『わたしの神様』が描く、「女子アナ」について書きました。
元TBSアナが暴く、エグすぎる女子アナの世界
今月3日、日本テレビの新人アナウンサー、笹崎里菜がデビューした。同局系のバラエティ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』に出演し、これからの抱負を語ったのだ。
ほんの短いコメントだったが、ホステスのバイト歴で内定取り消し、それを不当だとしての訴訟、さらに逆転入社という経緯があるため、芸能マスコミの取り上げ方は、すっかり“話題の大型新人”扱いだった。思い返せば、「清廉性」という言葉が一人歩きするなど、「アナウンサーとは一体なんだろう」と考えさせられる騒動だった。
●小島慶子の初の小説 『わたしの神様』
先日、元TBSアナウンサーで、現在はタレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティとして活躍中の小島慶子が、初の小説『わたしの神様』(幻冬舎)を上梓した。
舞台はズバリ、民放キー局。主人公は「私には、ブスの気持ちがわからない」と言い切る人気女子アナである。誰よりもスポットを浴びようと競い合い、同時に地位と権力を求めてうごめく男たちとも対峙する彼女たち。テレビドラマで、そう簡単には描けない物語だ。
低迷しているニュース番組がある。キャスターを務めてきた佐野アリサが産休に入ることになり、抜擢されたのは人気ランキング1位の仁和まなみだった。育児に専念する先輩と、これを機にさらなる上を目指す後輩。フィクションであることは承知していても、彼女たちの言葉は、著者の経歴からくる際どいリアル感に満ちている。
例えば、ニュース番組担当の女性ディレクターは女子アナを指して、「ほんと、嫌になるわ。顔しか能のないバカ女たち」と手厳しい。
当のまなみは心の中で言い返す。「この世には二種類の人間しかいない。見た目で人を攻撃する人間と、愛玩する人間。どれだけ勉強したって、誰も見た目からは自由になれないのだ」。
さらに、「どんなに空っぽでも、欲しがられる限りは価値がある。(中略)他人が自分の中身まで見てくれると期待するなんて、そんなのブスの思い上がりだ。人は見たいものしか見ない」と容赦ない。
また、この女性ディレクターが、アナウンサー試験に落ちた自分の過去を踏まえて断言する。
「これは現代の花魁(おいらん)だと気付いた。知識と教養と美貌を兼ね備えていても、最終的には男に買われる女たちなのだ。(中略)自分で自分の値をつり上げて、男の欲望を最大限に引きつけるのだ。その才覚に長けた女が生き残る世界なのだと」
果たして、これらは極端に露悪的な表現なのか。そうとは言い切れないのが、現在の女子アナの実態だ。小説ならではのデフォルメの中に、小説だからこそ書けた真実が垣間見える。
●女性アナウンサーと女子アナ
1980年代に「楽しくなければテレビじゃない」をモットーに、視聴率三冠王の地位に就いた当時のフジテレビが、女性アナウンサーをいわば“社内タレント”としてバラエティ番組に起用。それがウケたこともあり、以後、歌って、踊って、カブリモノも辞さない「女子アナ」が、各局に続々と誕生していった。
著者は常々、TBSの局アナ時代を振り返り、「自分は局が望むような“かわいい女子アナ”にはなれなかったし、なりたいとも思わなかった」と語っている。できれば“女子アナ”ではなく、一人のアナウンサーとして仕事を全うしたかったのだ。しかし、それは許されなかった。
昨年、TBSを定年退職した現フリーアナウンサーの吉川美代子は小島の先輩にあたる。その著書『アナウンサーが教える 愛される話し方』(朝日新書)の中で、「女子アナ」をアナウンサーの変種・別種と捉え、社内タレントとしての功罪を指摘。アナウンサーが文化や教養を伝える立場にあることを自覚せよと訴えていた。
とはいえ、今後もテレビ局は、社内タレントとしての女子アナの採用を続けるだろう。それは仕方がないとして、一方で真っ当な、もしくは本来のアナウンサーも採用・育成すべきなのだ。伝えることのプロとしてのアナウンサー、言葉の職人としてのアナウンサーは、目立たないが各局に存在する。その系譜を絶やしてはならない。
(ビジネスジャーナル 2015.06.08)
碓井広義「ひとことでは言えない」
http://biz-journal.jp/series/cat271/