1月6日に、加島祥造さんが亡くなりました。
加島さんの本は何冊も読んできたし、週刊新潮の書評で何度も取り上げさせていただきました。
どの本も、読むと、少しだけ気持ちが軽くなったものです。
92歳の大往生かもしれませんが、いなくなってしまったこと、新しい本が読めなくなったことは寂しいです。
感謝をこめて、合掌。
以下は、書いた書評のいくつかと、このブログに書いた文章です。
加島祥造 『私のタオ~優しさへの道』
筑摩書房 1680円
詩人で翻訳家の著者が老子に関する最初の本を出してから17年。“老子をめぐる思索の旅”は86歳の今も続いている。本書のテーマは『老子』が示す「優しさ」「柔らかさ」、さらに「弱さ」だ。閉塞社会、不安の時代を生きるためのヒントが見つかるかもしれない。
(2009.12.10発行)
加島祥造 『ひとり』
淡交社 1680円
雄大な中央アルプスを背に田園風景が広がる信州・伊那谷。著者がこの地に移り住み、独居を始めて四半世紀が過ぎた。89歳になった現在、「老子」を通じての思索はさらに深まり、その言葉は透明感を増している。「求めない、受けいれる」生き方がここにある。
(2012.05.11発行)
加島祥造 『アー・ユー・フリー? 自分を自由にする100の話』
小学館 1728円
現在91歳になる著者が、信州・伊那谷に移り住んでからの25年間に行った講演のセレクト集だ。「よりよく生きるということは、自分に正直に生きることだ」といった言葉を含む100話が並ぶ。全てに共通しているのは「自由」への思い。老子をひも解きたくなる。
(2014.2.27発行)
加島祥造さんの『小さき花』
『タオ 老子』などで知られる加島祥造さん。最新刊『小さき花』(小学館)が出た。
見開きページの、右に言葉、左に書。文と画が加島さん、そして書は金澤翔子さんの作品だ。
米寿[88歳]の年を迎えた“伊那谷の老子”は、ますます澄み切っていく。この本の中の言葉は、シンプルだからこそ、強い。書もまた、眺めていて、飽きることがない。
楽シサハ
身ノ
自由ナル
トコロニアル
いま在るがままでいればいい
いちばん好きなことを
するがいい
いま要るものだけ
持つがいい
――加島祥造『小さき花』
(2010年12月15日)
詩人・加島祥造のドキュメンタリーと「巨匠」
いい番組を見た。
NHK ETV特集
「ひとりだ でも淋(さび)しくはない~詩人・加島祥造90歳~」。
信州・伊那谷の自然の中で暮らす詩人・加島祥造さん(90歳)の言葉が、この時代をどう生きるか悩める人々から注目されている。ベストセラーとなった詩集「求めない」、「受いれる」の中で加島は言う。会社や家庭の中で求めすぎる心を転換してバランスをとり、ありのままの自分を受け入れるとずいぶん楽になると。
もともと加島さんは横浜国大の英文学教授だった。ノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーやアガサ・クリスティの数々の翻訳で名声も獲得。しかし、なぜか心は満たされず、逆に息苦しさを感じて生きていた。
そんなとき、野山で自由に遊び回っていた幼少期の頃の感覚を思い出せという内なる声が聞こえた。60歳になった加島は、我慢の限界に達し、社会から飛び出す。そして、たどり着いたのが伊那谷だった。その大自然に触れるうち、自分の中に可能性を秘めた赤ちゃんのようなもう一人の自分、いわば「はじめの自分」がよみがえった感覚を感じたという。
その後、伊那谷で暮らすうちに、なぜか詩が湧いて出てき、また、絵も描けるように変わっていった加島。精神のバランスも徐々に取れるようになっていった。
そんな加島さんの元を訪ねるようになったのが、政治学者の姜尚中(63歳)。順風満帆に見える姜だが、実は、4年前に長男を26歳の若さで亡くした。それがきっかけとなり、60歳を過ぎて、このままの人生を送っていいのか、何が自分にとっての幸せなのか考えるようになったという。そんなときに偶然出会ったのが加島さんだった。それ以来、たまに伊那谷を訪れて、加島とのやりとりを繰り返している。
わがままと言われようと、ただ命に忠実に向き合ってきた加島。番組では人生の晩年をどう生きるか、今もあがき続ける90歳の日々を見つめる。
加島さんの本はすいぶん読んできた。とはいえ、共感しながらも、簡単にその境地に近づけるはずもない。
番組で見る最近の加島さんは、ますます遥かな道を歩んでいる、という印象だ。亡くした”大切な女性”の話も含め、「ああ、加島さんらしい90歳だなあ」と思いながら、なんだか嬉しかった。
見終わって、いい気分でいたので、エンドロールをぼんやり眺めていた。NHK福岡の制作だったが、ディレクターの名前は見逃してしまった。けれど、「編集 吉岡雅春」という文字は目に入ってきた。
吉岡さんは番組編集者だ。知る人ぞ知る、天才的編集者。私もお世話になった、テレビ界の大先輩だ。今は、主にNHKスペシャルで、その名を見ることが出来る。
30年前、新人のアシスタント・ディレクターとして、吉岡さんに初めて会った。その際、先輩のディレクターから、吉岡さんのニックネームが「巨匠」であることを教えられた。出会った時から、すでに巨匠だったわけだ。そして私がディレクターになってからも、何度もお世話になった。
取材が不十分な時、その指摘は厳しく、私はすごすごと「追撮」に出かけた。編集作業に少し疲れたり、私が煮詰まったりすると、吉岡さんはキャッチボールをしようと言う。黙ってボールをやりとりしながら、こちらも打開策を考えるのだ。
巨匠は、今でも、ディレクターとキャッチボールをしているのだろうか。
(2013年10月20日)