夏日の暑さの中、新宿・紀伊国屋ホールへ。
ラッパ屋の新作「筋書ナシコ」の初日です。
初めてラッパ屋の芝居を見たのが、1993年6月の第16回公演「アロハ颱風」でした。
今回の「筋書ナシコ」が第42回公演なのですが、23年間の全作品、皆勤賞です(笑)。
例によって、まずは脚本・演出の鈴木聡さんに、ご挨拶。
私が「筋書ナシコって、戯曲のタイトルとして、とんでもないですよね~」と言うと、鈴木さん、「ですよねえ~」と大笑いしていました。
<作者の言葉>
「筋書ナシコ」はご承知の通り(さっき僕が決めたのだが)、「この先の筋書きが見えない、或いは決まっていない状態および人物」を指す言葉である。たとえば「日曜日なのにスケジュールは真っ白。何しよう・・」というのは身近な筋書ナシコだ。「経歴を詐称してしまった。番組はなくなった。明日からどうすれば・・」というのはコメンテーター関係の筋書ナシコである。「人口が減り続ける一方、老人は増え続けるのでありまして・・」というのは年金関係の筋書ナシコだし、「ヘイ!壁つくっちまいなよ、どうなるかは知らねえけどな!」というのはトランプ関係の筋書ナシコである。つまり、そこもあそこも筋書ナシコ。いま世界は筋書ナシコなのだ、という芝居を書いても良いのだが収拾がつきそうもないので、できそうな範囲でやる。
思えば高度成長期やバブルの頃は良かったなあ(飲み屋にいるオヤジ風)。今日より明日の方が幸せになるって、若者もサラリーマンもお母さんもみんなが思えたんだよなあ・・・その頃は世の中全体がハッピーエンドに向かう筋書きを持っていたということだろう。だがいまは違う。一人一人が嗜好や性癖や価値観に合ったオリジナルな筋書きを持たなくてはならない。波乱万丈のサクセスストーリーでなくても良い。余韻勝負の不条理劇、というチョイスもあり得る。
というわけで「筋書ナシコ」。さまざまな人々が集うパーティーの夜。筋書ナシコが筋書アリコや筋書ナシオや筋書アリタローに助けられ邪魔されながら、自分だけの素敵な筋書きを探し求める物語になるのではないか。さああなたもご一緒に、自分の筋書き、考えてみません?
・・・場内は、ほぼ満員の盛況ぶり。
観客の年齢も、ラッパ屋と共に、それなりに高くなっています(笑)。
で、舞台ですが・・・
フリーライターのナシコさんを軸に、というか狂言回しとしながら、出版不況から舛添さん(!?)までを取り込んだ、びっくりぽん(古!)な上質コメディになっています。
26日までなので、ぜひ!