ノンフィクション作家・柳澤健さんの新著『1974年のサマークリスマス~林美雄とパックインミュージックの時代』(集英社)が、すこぶる面白い。70年代前半のラジオに存在した、奇跡のような「深夜放送」をめぐる物語です。
1974年? サマークリスマス? 林美雄? パックインミュージック?と、クエスチョンマークばかりが並ぶ方も多いと思いますが、しばしご勘弁を・・・。
● 『パックインミュージック』の時代
ジョージ・ルーカス監督の出世作『アメリカン・グラフィティ』(73年公開、日本では翌74年)。あの映画の有名なキャッチコピーが、描かれた時代を思わせる「Where were you in'62?(1962年、あなたはどこにいましたか?)」だった。
それにならえば、1974年に、あなたが何歳で、どこで何をしていたのかによって、この本の読み方が変わってくるかもしれない。
たとえば、74年に私は大学2年生で、大家さんの二階に下宿していた。テレビはないが、ラジオ(ラジカセです)は持っていた。中学生の頃からラジオが好きで、特に深夜放送を聴き続けていた。
まさか、それから35年後に、札幌のFM局で、『USUI's Night~碓井教授のまだ25時なので!~』などというタイトルの深夜番組を持つことになるなんて、想像もしていなかった頃だ。
深夜放送の中でも、野沢那智と白石冬美の『パックインミュージック』(TBS)は欠かしたことがなかった。あの「金瓶梅」も懐かしい、野沢・白石コンビの登場は金曜日。「金曜パック」、「ナチチャコパック(もしくはナッチャコパック)」と呼ばれていた。
午前1時から3時までの放送だったが、そのままスイッチを切らずにいると、金曜パックの第2部が始まる。「ミドリブタ」こと林美雄(はやしよしお)が担当する、通称「林パック」だ。
70年に始まった林パックは、なんとも奇妙な番組だった。そもそも林美雄というパーソナリティが、私にとっては正体不明だったのだ。TBSのアナウンサーであることは知っていたが、テレビで顔を見たことはない。ラジオでも、林パック以外でその声を聞いたことがなかった。
● 「林パック」という奇跡
内容はもっと不思議だった。深夜放送らしく音楽は流れるのだが、海外の曲はあまりかからない。邦楽も、歌謡曲の存在を忘れているかのようだったし、当時若者たちの間で流行していた吉田拓郎やチューリップの曲に遭遇することもなかった。
その代わり、たとえば「荒井由実」という無名の女の子の曲がやたらと流れた。独特の歌詞、メロディ、そしてあの声。拓郎とも、かぐや姫などとも異なるその世界観が新鮮だった。「ひこうき雲」も「ベルベット・イースター」も、初めて聴いたのは林パックだ。
そうそう、石川セリが歌った「八月の濡れた砂」や、安田南(74年からFM東京「気まぐれ飛行船」)のジャズもこの番組で知った。
林は映画の話もよくしていた。だが、やはり洋画にはほとんど触れない。邦画も黒澤明や小津安二郎ではなく、藤田敏八や神代辰巳や曽根中生の作品を語った。ゲストでは、俳優の原田芳雄が常連だったというのも、今思うと変わっている。しかし、こうした超がつく“偏愛”こそが、林の真骨頂であり、私たちリスナーの支持もそこにあったのだ。
そして1974年。突然、林パックは終了してしまう。実は翌年、午前1時からの水曜パックという形で復活するのだが、その内容にはどこか“別モノ”感があり、私自身はすんなりと入っていけなかった。その時点で、少し距離を置くことになった。
今回、この本を読むことで、分かったことがたくさんある。林美雄とは一体何者だったのか。なぜ、あんな内容の放送が可能だったのか。そして、林パックはいかにして消滅していったのか。さらに、放送史とサブカルチャー史における、林美雄の位置や意味も見えてきた。柳澤さんの労作に感謝です。
林美雄が亡くなったのは14年前の夏だ。2002年7月13日(土)、58歳だった。
1974年、あなたはどこにいましたか?