サンデー毎日に、「ラジオ深夜放送」について、3ページにわたる
特集記事が掲載されました。
タイトルは、『人気復活 「ラジオ」が輝いていた、あのころ』。
私は、記事の冒頭とラストで解説をしていますが、まず最初の方は・・・・
民放ラジオ局が開局した1950年代、ラジオは第一次黄金期を迎えた。上智大学の碓井広義教授(メディア論)が、こう解説する。
「戦前のラジオは、国が国民に情報を伝えるための媒体、という要素が強かった。それが戦後に解放されて、娯楽番組も含めて人気コンテンツを一手に引き受けていきました。テレビ時代に移行する前で、リスナーにとってラジオは大きなメディアだったのです」
元文化放送アナウンサー・青柳森さん(85)の談話などがあって、深夜番組の数々が登場しています。
TBS「パック・イン・ミュージック」
ニッポン放送「オールナイトニッポン」
文化放送「セイ!ヤング」等々。
記事には、鶴光師匠や、「ゆき姐」こと兵藤ゆきさんの回想も並んでいます。
このあたり、多分、サンデー毎日の中心的な読者層なら、皆さん、懐かしいだろうと思われます。
「パック・イン・ミュージック」と「オールナイトニッポン」が始まったのは、私が中1だった1967年。
いわば深夜番組の草創期から聴いていたことになります。
信州の中学生だったため、東京の電波を拾うのに苦労しましたが、翌日、“同好の士”である同級生と番組の話をするのが楽しみでした。
そして、記事の最後に、当時の深夜放送と若者たちについてコメントしました・・・・
前出の碓井教授は、こう分析する。
「深夜放送のパーソナリティーは、自分のことを自らの言葉で話してくれた。本音や失敗談、困っていることなど、自分の内面や生き方をもさらけ出す。そしてリスナーは、それが自分に向かって話しかけられているような一体感や共生感を感じ、いま一緒に生きているんだと思えたところが、若者の心を捕らえて離さなかったのでしょう」
ラジオは、パーソナリティーとリスナーが互いを感じることができる双方向性を備えている。いわば、マスメディアでありながらパーソナルメディアなのだ。
(サンデー毎日 2013.09.01号)
・・・・最近は、「radiko」でラジオを聴くことが多いが、とても有難い。
ただ、出来ることなら、自分が住んでいるエリアだけでなく、全国各地のラジオ放送が、ぜんぶradikoで聴けたらいいのに、と思います。