本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/reviews/1677786
祝!直木賞受賞
恩田陸さんの"小説のみが生み出せる世界”
平成28年度下半期の芥川賞と直木賞の発表がありました。芥川龍之介賞は山下澄人さんの『しんせかい』(新潮7月号)、直木三十五賞が恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)でした。
お二人とも、おめでとうございます!
恩田さんの受賞作『蜜蜂と遠雷』については、これから山ほどの紹介や論評が出るかと思います。そこで、ほかの名作を通じて、恩田さんの小説の魅力を探ってみました。
『いのちのパレード』と『きのうの世界』
以前、恩田さんの『いのちのパレード』(実業之日本社)を読んだときの、迷宮に入り込んだような、不思議な感覚が忘れられない。
恐らく、恩田さんが目指したのは「無国籍で不思議な」短編集だったはずだ。
生物の進化を一気に体感する表題作をはじめ、ファンタジーやSFからホラーまで多彩なジャンルの物語が並んでいた。いかに奇妙で想像力あふれる作品を生み出すかという実験であり、読む側もまた試されているような気がした。
そして、もう一冊、恩田ワールド全開と言える長編が、『きのうの世界』(講談社)である。
これがまた、尋常ではない。小説の多様な要素、というか、恩田さんの多様な小説世界を一冊に凝縮したような野心作であり、問題作なのだ。
物語は、「もしもあなたが水無月橋を見に行きたいと思うのならば、M駅を出てすぐ、いったんそこで立ち止まることをお薦めする」という書き出しで始まる。
この二人称の「あなた」とは一体誰なのか? もちろん簡単には明かされない。しかし、読む者は、いつの間にか、この「あなた」に同化し、物語の中に入り込んでしまう。実に巧みだ。
一人の男が突然失踪する。誰もが、すぐに顔を思い出せないような、目立たない、ごく普通の会社員だった男。そして1年後、都会から遠く離れた<塔と水路の町>で、そこにある「水無月橋」という名の橋で、彼は他殺体となって発見される。なぜ、誰に殺されたのか?
舞台となる<塔と水路の町>が変わっている。いや、どこか秘密めいているのだ。男の失踪、殺害と、この町の関係は?
さらに、もう一人、この町を訪れ、男と事件のことを探ろうとする女性が登場する。彼女は誰であり、その目的は何なのか?
いくつもの謎を抱えたまま、町の住人にからんだ、いくつものエピソードが展開される。しかし、読み進めても、なかなか真相は見えてこない。
それにしても、ここで描かれる<塔と水路の町>が魅力的だ。町の中を縦横に走る水路。そびえ立つ奇妙な2本の塔。今は崩壊している1本の塔。町全体が、閉じられた空間、一種の密室であり、物語に陰影や湿り気を与えている。まるで、もう一人の主人公である。
この作品は、ミステリーであり、ファンタジーであり、伝奇小説とも読める。いや、ジャンルでくくろうとするのは意味がない。深い謎と妖しい美しさと静けさに満ちた、小説のみが生み出せる世界が、ここにあるだけだ。