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Channel: 碓井広義ブログ
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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第5回

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倉本聰 ドラマへの遺言 
第5回
「これが最後だと…」
2008年の会見で現役引退宣言の真意

2008年9月、テレビドラマ界に大きな激震が走った。倉本氏がフジテレビ開局50周年記念ドラマ「風のガーデン」(中井貴一主演)の富良野ロケを視察した際の会見で、「脚本を書いているうちにこれが最後だと思った」と引退ともとれる発言をしたからだ。

碓井 先生は実際、どうおっしゃってたんですか。この時の心境も知りたいです。

倉本 詳しいことはちょっと覚えていないんですが、ただ、体力的な面は大きいでしょうね。その当時でまだ70代だったのかな。長期間にわたる作品ってキツイでしょう? 体力的に無理だなっていうのはありましたね。自信がないっていう。

碓井 「風のガーデン」は「北の国から」(1981~2002年)、「優しい時間」(05年)に続くフジテレビ系で放送された富良野3部作の最終章となる物語です。初回平均視聴率20・1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しましたが、数字以上に「人生の最期」を扱ったドラマの内容自体への反響が大きかった。また難しいテーマだけに、もしかしたら倉本先生と当時の制作陣との間にドラマ作りを巡って何かズレがあったのかな、と。

倉本 それはないですよ。「風のガーデン」の演出は宮本理江子だったし。山田太一の娘さんのね。振り返れば、主人公の父親役を演じた緒形拳(享年71)が亡くなったでしょう。

碓井 ドラマが始まったのが08年の10月9日。緒形さんが亡くなったのは初回放送4日前の5日。亡くなる5日前には制作会見(写真)にも出席していらっしゃいました。

倉本 ええ。それからしばらくして、4年後の12年には大滝秀治さん(享年87)も亡くなった。自分が一緒に仕事してきた同世代や先輩がどんどん欠けていっちゃった。

碓井 倉本ドラマにおいて、脚本の命でもある微妙なニュアンスを表現できる役者さんや作り手の存在は不可欠ですからね。

倉本 正直、理江子までは良かったんだけど。実はテレビドラマは「やすらぎの郷」(17年、テレビ朝日系)の前に1本やっているんですよ。

碓井 TBS系の「おやじの背中」(14年)ですね。倉本先生はじめ10人の脚本家による1話完結のオムニバス形式。先生は旧知の演出家・石橋冠さんと組んだ第3話で「なごり雪」を書かれた。一代で会社を築き上げた男(西田敏行)が、創立40周年パーティーのために準備してきたプランを周囲に反対される。腹を立てた西田さんがパーティーの中止を宣言して姿を消す、という話でした。

倉本 そのときに、冠ちゃんがどうのこうのっていうんじゃなくて、いまの俳優さんたちと演出家たちとの間のギャップっていうのは感じましたね。 (あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。

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