週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。
大木賢一 『皇室番 黒革の手帖』
宝島社新書 842円
テレビで皇室をめぐる特番が放送される時、いわゆる皇室評論家が登場することが多い。たいていは新聞社やテレビ局で長年にわたって皇室記者を務めてきた人たちだ。
彼らは共通の雰囲気を持っており、そのたたずまいの中に、どこか“虎の威を借る”的な感じが漂う。自分も高貴な世界の住人だとでも言いたげな“上から目線”も気になる。
著者は共同通信の記者として、2006年から2年近く皇室番、つまり宮内庁担当だった。しかし皇室評論家風の威張り感はまったくない。モレスキンの黒い表紙のノートに記した、当時のメモとスケッチ画を基に書き下ろしたのが本書だ。
基本的に取材の体験が時系列で回想されていく。しかも著者の関心は両陛下や皇族だけでなく、駅頭や沿道で手をふる、「一般奉迎者」といわれる市民にも向けられる。そこに著者が過去には実感することのなかった「国民」がいたからだ。
特別養護老人ホームで、車いすのお年寄りに声をかける両陛下。涙ぐんでそれに応えるお年寄り。そんな光景を前に、「天皇とは、一体日本人にとって何なのだろう」という素朴な感慨を抱く。思えば、両陛下から国民への言葉は、「よかったね」「お元気でね」などとシンプルだ。そんな言葉に日本人は敏感に反応するが、著者はその理由を「私心なき鏡のような存在」にあると見る。
一方、国権の最高機関である国会での天皇のふるまいと、それを見つめる議員たちの態度は、「天皇の権威」というものを考える格好の材料だ。そこには被災地訪問などの姿からくるイメージとも異なった、「この国のかたちと密接不可分な存在」としての天皇がいる。
退位の時期が近くなるほど、陛下や皇族をめぐる話題は増えていくはずだ。バランスのとれた距離感で素顔の皇室を見つめる本書が現時点で上梓されたことは、私たちにとって小さな僥倖かもしれない。
(週刊新潮 2018年9月20日号)