発売中の「週刊新潮」最新号。
掲載されている特集記事『視聴者が許してくれない「みのもんた」焦燥の日々』で、コメントしています。
記事はまず、島倉千代子さんの葬儀に関する失言やその他の失言について書いています。
「あの発言はアウトだね」と語るのは、「みのもんた」という芸名の名づけ親でもある野末陳平さん。
それに続いて、私のコメントがあります。
野末陳平氏がそう指摘すれば、上智大学の碓井広義教授(メディア論)も言う。
「世間から批判される言葉を発し続ける彼は、迷走というより暴走状態になっています。モノを言えば言うほど世間はみのさんから離れていくのに、モノを言わなければ忘れられてしまうと焦っている。業界に残りたいという焦燥感を越えた執着心のために、批判や炎上ですら“世間が自分を見てくれている”という錯覚に陥るのでしょうが、このままでは唯一の冠番組であるラジオ番組も、支えられなくなりますよ」
それから、ここ最近、みのさんがあちこちの雑誌に登場しているインタビュー記事に関して。
やはり、野末陳平さんの「このまま忘れられたらどうしようという焦りもあるんじゃないかな」という談話の後、私の部分になります。
一連のインタビュー記事にすべて目を通している碓井教授は、
「どこでも全く同じことを言っていますね。基本的には“息子に対する親の責任は取ったが納得はしていない”“週刊新潮をはじめとする活字の力にねじ伏せられ、不本意ながらこういう状況になった”と、不満をぶちまけているだけ。どうしてこんな仕打ちを受けるのかと被害者然とするために、メディアを利用しているんです。発信する場を失うのを恐れ、何が何でも露出が必要だと考えたのでしょうが、悪あがきにすぎません」
この後、みのさんが記者の質問に答えるブロックがあり、
「相談する相手がいなかったのが、対応が後手に回った原因だと思います」と、憤懣をぶちまけながら後悔の念を吐露するみのだが、碓井教授が言う。
「みのさんは親の責任という一般論に逃げたい。そうすれば、それ以上の批判には人格攻撃だと反撃できるからですが、あのような31歳を育てた親の責任は追及されて当然です。でも、それ以前に、公共の電波を通じて世の中に白黒つけてきた、みのもんたという“公人”の責任が問われているのです」
以下の本文がまとめになります・・・
だが、バッシングであれ、相手にされるうちが華。
「反撃する相手すらいなくなったとき、どうやって苦境を切り抜けるのか」と野末氏。
迷走の果てにたどり着く先は、深夜バラエティのピエロか、世の中から忘れ去られた老境か。
(週刊新潮 2013.11.28号)