<碓井広義の放送時評>
異色作にして意欲作
大河ドラマ「いだてん」
1月に始まったNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」。現時点での話題は内容よりも視聴率の低さばかりだ。制作側も視聴率という物差しだけで判断されるのは不本意だろう。いや、この状況も想定内だったのか。なぜなら、元々今回の大河は明らかに異色であり、異端であるからだ。
まず、物語の舞台となる「時代」の問題がある。昭和39年(1964年)の東京オリンピックに至るまでの話であり、明治から昭和を描く「近現代劇」である。大河視聴者の多くが好む戦国時代や幕末のドラマではない。
次に登場する「人物」だ。織田信長や豊臣秀吉、坂本龍馬といった、よく知られる歴史上の有名人ではない。日本人として初めてオリンピックに参加したマラソンランナー、金栗四三(かなくりしそう)。昭和の東京オリンピックの実現に尽力した水泳指導者、田畑政治(たばたまさじ)。スポーツの世界では有名な2人かもしれないが、一般的にはこのドラマで初めて知ったという人が珍しくない。来年の東京オリンピックへとつながる、「知られざる男たち」の物語なのだ。
さらに「出演者」のこともある。金栗を演じるのが歌舞伎の中村勘九郎で、田畑は舞台出身の阿部サダヲだ。どちらも高い演技力の個性派だが、国民的ドラマの“顔”としては、かなり凝ったキャスティングと言える。
つまり「いだてん」は、大河で扱われるには馴染(なじ)みのない時代、知らない人物、そしてマニアックな俳優という異例づくしの作品なのだ。時代劇ではないことを知った段階で、今年はパスすると決めた視聴者も少なくない。若い視聴者の新規参入を計算しても、高視聴率を期待できるものではなかったはずだ。
では、「いだてん」の価値はどこにあるのか。それはニュータイプの大河が楽しめることに尽きる。たとえば語り手は伝説の落語家、古今亭志ん生だ。昭和期の名人を演じるのはビートたけしで、明治期が森山未来。同じドラマの中に複数の語り手がいることや、頻繁に時代がジャンプするあたりは、いかにも宮藤官九郎の脚本らしいし、仕掛けとしても面白い。ただ、ビートたけしの言葉が聞き取りづらいことが難点だ。
また金栗だけでなく、やがて彼の妻となる春野ヤス(綾瀬はるか)、そして恩師である嘉納治五郎(役所広司)などが見せてくれる、明治の人々の真っすぐな生き方も徐々に共感を呼ぶのではないか。この確信犯的異色作、もしかしたら大河ドラマの可能性を広げる、画期的な1本になるかもしれない。
(北海道新聞 2019.02.02)