NHK朝ドラ『エール』
再び「前代未聞の幕開け」を読み解く
NHK朝ドラ『エール』の第1話は、あらゆる予想や想像を完全に裏切っていました。前回に続いて、朝ドラ『エール』前代未聞の幕開けを読み解いてみたいと思います。
原始時代から昭和へとワープ!紀元前1万年の原始時代から始まった、驚きの第1話。
その怒涛の3分間が終り、書斎で仕事をしている初老の男(窪田正孝)がいます。昭和39年の東京オリンピック、その開会式で使われる入場行進曲を作曲しているのです。
考え込んでいた男の耳に、庭掃除をしている妻(二階堂)の歌声が響いてきました。『さくらさくら』です。ふと、何かがひらめいた男は、再び五線紙に向かいます。
男は、書き上げた楽譜の表紙に、「古山裕一」とサインしました。曲のタイトルは「オリンピック・マーチ」。聞いたことのある人も多い、あの曲です。
まさしく古関裕而が作曲したものであり、後述しますが、登場するのが「実在の曲」であることは大事なポイントになります。
昭和39年、東京オリンピック開会式当日次の場面は、東京オリンピック開会式の当日、昭和39年10月10日。
このブロックの見せ方は実に巧みです。いわば、同時進行の多元中継。
まず、福島にある、古山裕一の母校である小学校。生徒と先生たちが開会式を白黒テレビで観ようとしている。
また、とある墓地では、一人の男(中村蒼)が「藤堂家之墓」と彫られた墓石の前で、ラジオを聴いている。そして「あの裕一が、いじめられっ子の裕一が、ついにやりましたよ、先生」と語りかけます。
画面はこの後、開会式当日のニュース系・記録系のフィルム映像になる。国立競技場の上空を飛ぶ、航空自衛隊のブルーインパルス。ご臨席の昭和天皇・皇后ご夫妻。観客席を埋める大観衆などです。
競技場内のトイレで、うろうろしているのは裕一です。本番前の緊張感に押しつぶされそうなのは、ある男から、かなりプレッシャーをかけられていたからでした。
応接室で、黒ぶちメガネの男が力説しています。回想です。
「(日本が)復興を遂げた姿を、どーだ! と世界に宣言する。先生は、その大事な開会式の音楽を書くわけですから、責任重大ですぞ!」
この大声の、パワフルな、なんだかエラソーなメガネ男、どう見ても、昨年の大河ドラマ『いだてん』で阿部サダヲさんが演じていた、田畑政治その人でしょう。
古関裕而に、開会式の入場行進曲を「発注」したのは、あの田畑だったんですね。完全に、『いだてん』つながりです。
トイレで吐く裕一。駆けつけたのは妻の金子(きんこ)、じゃなくて音(二階堂ふみ)です。「大丈夫、あなたの曲は素晴しいんだから」と励まして、連れ出しました。
音は「あなたの曲を世界中の人が聴くのよ。ずっと叶えたかった夢でしょ?」と説得を続けます。それでも裕一は、会場に入る勇気が出ません。
その時、白い制服を着た、一人の警備員(萩原聖人)が現れました。裕一に向って、語りかけます。
「自分は長崎の出身であります。(原爆で)親兄弟、親戚、みんな死んだとです。生きる希望ば与えてくれたとは、先生の『長崎の鐘』です。先生の曲は人の心ば励まし、応援してくれます。先生の晴れ舞台ですけえ、どうか会場で」
音楽で、人を励まし、応援する。まさに「エール」。
これを聞いた裕一、ようやく会場に入ることを決意します。ここで、『長崎の鐘』というタイトル、固有名詞が出たことに注目です。ご存知のように、『長崎の鐘』は古関裕而の代表曲の一つです。
「ドラマなので、主人公は古山裕一という架空の人物だけど、本当は紛れもなく古関裕而なんですよ」と制作陣が宣言しているわけです。「たとえドラマでも古関裕而でいいじゃん」と言いたくなりますが(笑)。
裕一と音。2人は手をつないで、晴天の国立競技場の中へと足を運んでいきます。素敵な後ろ姿。大観衆の歓声が聞こえてきました。
さあ、ここで津田健次郎さんのナレーションです。
「この夫婦が、いかにして、このような2人になったのか。そこには長い長い話がありました」
確かに。これから半年の長丁場であり、ようやく、物語が始まるのです。
舞台は、昭和の東京から明治の福島へ画面は一転。呉服屋の店先です。
ナレーション「すべては、福島の老舗呉服屋さんから始まりました」
テロップが「明治四十二年八月」。
浴衣姿の男(唐沢寿明)が店から飛び出してきました。「うおー! 生まれた、生まれた―!」
家の中では、妻(菊池桃子)が赤ちゃんを抱いています。
再び、ナレーション
「音楽が奏でる人生の物語『エール』、はじまり、はじまり!」
ここまで見せて、オープニングタイトル。
窪田さん、二階堂さん、2人のイメージ映像が美しい。GReeeeNによる主題歌「星影のエール」も心地いいじゃないですか。
ということで、第1話の15分が、無事終りました。
「前代未聞の幕開け」の意味全体としてのポイントは、このドラマが、古関裕而をモデルにした「古山裕一という架空の人物」の物語ではなく、モデルと表現してはいるものの、明らかに「作曲家・古関裕而」と妻・金子の人生を描く作品であることを表明した、ということでしょう。
たとえば『スカーレット』は、陶芸家・神山清子をモチーフにした、「川原喜美子という架空の女性」のお話でした。
喜美子=神山ではない。だから、夫との離婚問題も、骨髄バンクをめぐるエピソードも、隔靴掻痒というか、曖昧なままというか、中途半端な形で進行していました。
モチーフとした人物が、ご健在ということもあり、かなりの配慮、もしくは忖度が効きすぎて、全体として不自由感がぬぐえませんでした。朝ドラとしては悪くない1本だっただけに、少々残念です。
実在の人物がモデルであるとしながらも、その人の実人生そのものをドラマで描くわけではない。「あくまでも架空の人物ですよ」というスタンスは、おそらく『エール』も同様のはずです。
そうでないと、「事実に基づいたフィクション」として、登場人物たちの人生をふくらませたり、出来事をプラスしたりして、ドラマ的面白さを追求することが出来ませんから。
ただし、繰り返しますが、実在の『オリンピック・マーチ』や『長崎の鐘』を提示したことで、「古山裕一夫妻の物語」を、古関裕而夫妻へのリスペクトを込めて描こうとする姿勢が、見る側にしっかりと伝わってきました。
これが、怒涛の3分間を含む第1話、「前代未聞の幕開け」の意味であり、成果だったのです。
ニッポンへの「エール」として・・・その後、第1週では、福島の老舗呉服屋に生まれ育った裕一(石田星空)が、小学校の藤堂先生(森山直太朗)の影響もあって音楽に目覚めていく様子が描かれました。
両親(唐沢・菊池)はもちろん、裕一の人生に大きく関わる少年たちのキャラクターもしっかりと印象づけ、やがて裕一の妻となる少女・関内音(清水香帆)まで登場させていたのは見事です。
そして第2週。今度は、音とその家族の物語でした。
お父さん(光石研)の何でも包み込んでくれる「やさしさ」、お母さん(薬師丸ひろ子)の何ものにもめげない「おおらかさ」が印象に残ります。
1週、2週と、まるで2本のドラマを見たような満足感がありました。この勢いのまま、第3週以降では、成長した裕一(窪田)や音(二階堂)に会えそうです。まずは、いずれやってくる2人の出会い、いや「再会」が楽しみですね。
おそらく元々の予定では、今年7月に行われるはずだった、東京オリンピックを踏まえての「エール」というタイトルであり、内容だったはずです。
期せずして、新型コロナウイルスの渦中にあるニッポンへの、そこに暮す私たちへの、励ましであり、応援である「エール」となりましたが、制作陣の皆さんには、初回で見せてくれた「茶目っ気」と「ヤマっ気」を、今後もどんどん発揮していただけたらと思っています。