近親者の証言をたどって描く
今は亡きフォーク歌手の新たな一面
なぎら健壱『高田渡に会いに行く』
駒草出版 2,750円
2016年春のことだ。突然テレビから高田渡の歌声が聞こえてきた。しかもアイスキャンディー「ガリガリ君」のCMだ。過去25年間、据え置いてきた60円の定価を、10円値上げするという告知である。
流れていたのは1971年にリリースされた「値上げ」という曲だ。当初、「ぜんぜん考えぬ」だった値上げが、最後は「ふみきろう」となる秀逸な歌詞は、政治家の答弁を繋ぎ合わせたものだった。
フォーク歌手の高田が世を去って16年近い。かつて同じステージに立つなど親交の深かった著者は、最も近くにいた人たちを訪ねて歩く。兄の烈(いさお)は、「母親の記憶がない」という弟の言葉を覚えていた。高田は8歳で母親を失っている。それから10年後に詩人だった父親も亡くなるが、父との関係は濃密だった。暮らしていたのは東京の外れにあった、都の困窮者用住宅だ。
息子の漣は、中学時代の高田がサッカー部を作ったこと、さらにスケートも得意だったことを明かして著者を驚かせる。練習に打ち込むスポーツ少年のイメージは新鮮だ。また音楽の道に進んだ漣は、高田から「お前はお前なんだから、お前のやりたいことを好きにやればいいんだ」と言われたことも忘れていない。
そして漣の母である富美子は、静かに世の中を斜めに見ているような歌詞を書いた高田が、「人間としては“人好き”だったと思う」と回想する。「そうかなあ」といぶかしがる著者に、「人物を見るのが好きじゃないですか」と答えている。これもまた新たな一面だ。
本書では酒をめぐる「伝説」の真相も知ることが出来る。高田は「高田渡」をやり続けるために酒を必要とした。多くは失敗談だが、それを喜劇としてしまうところに「高田の悲劇があった」と著者。もしも健在なら、高田は今年72歳のはずだ。現在の人と社会を見つめながら、どんな歌を聴かせてくれただろう。
(週刊新潮 2021年2月25日号)