北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、期せずして、この冬一番の話題のドラマとなってしまった、『明日、ママがいない』を取り上げました。
『明日、ママがいない』の波紋
制作意図と表現 丁寧に説明を
1月から始まったドラマ『明日、ママがいない』(日本テレビ―STV)。児童養護施設を舞台に、経済的事情から虐待まで、さまざまな理由で実の親に養育してもらえない子どもたちが懸命に生きようとする姿を描いている。しかし、初回放送直後に熊本県の病院などが放送中止や内容改善を要求したことから批判やひ非難の声が高まり、スポンサーのCM自粛へと発展。騒動は現在も進行中だ。
確かに、主人公(芦田愛菜)に「赤ちゃんポスト」からとった「ポスト」というニックネームを付けたり、施設長(三上博史)に「ペットショップの犬と同じだ」というセリフを言わせるなど、見る側にショックを与える内容に問題がなかったとは言えない。「赤ちゃんポスト」は実在の取り組みであり、全国で一ヵ所だけという熊本の病院が、この名称の使われ方に異をとなえるのは当然だろう。
また、舞台となっている「コガモの家」は、「児童養護施設」であり、「グループホーム」であると設定されている。どちらも現実の存在であるだけに、「誤解、偏見、差別を生む」「施設の子供たちが傷つく」という当事者からの批判が起きることも予想できたはずだ。
このドラマのように、現実性と物語性の入り混じった表現をする場合、制作側は想像力と創造力をフル稼働しなくてはならない。たとえばNHK『あまちゃん』では、東日本大震災の衝撃を、壊れたジオラマに加え、変わり果てた風景を目にした駅長(杉本哲太)とユイ(橋本愛)の表情だけで表現していた。それはもちろん被災地の皆さんに配慮してのことだが、同時に被災地以外の場所にいる視聴者をも納得させる見事な演出だった。その点、このドラマは当事者も含む視聴者に対する想像力と思慮に欠けていたのではないか。
脚本監修を手掛けたのは『家なき子』などで知られる野島伸司だが、あのドラマの時代と今とでは社会環境や視聴者の意識が違っている。もしもセンセーショナルな表現の多用で視聴率を稼ごうとするのであれば、「そんな手法はもう古い」と言わざるをえない。
だが、その一方で、現在の状態のまま放送を途中で打ち切ることには反対だ。これが前例となって放送局の自主規制が強まり、ドラマが扱うテーマや素材が限定され、また制作者が萎縮することで表現の幅を狭めてしまう可能性があるからだ。その意味でも、日本テレビと制作陣は関係者と視聴者に対し、自らの制作意図と表現について、あらためて丁寧に説明する必要がある。
(北海道新聞 2014.02.03)
・・・・田村憲久厚生労働相が、3日の衆院予算委員会で、「明日、ママがいない」が児童養護施設の子供に与えている影響を調査する方針を示しました。
まだまだ騒動は続きそうです。