池原冨貴夫
『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか
~巨大メディア―その捏造の歴史』
ベストブック 1296円
刺激的なタイトルだ。もちろん、新聞の好き嫌いをうんぬんする一冊ではない。この国の歴史に、朝日新聞というメディアはどのような影響を与えてきたのか。戦後70年の今年、刊行が始まった『昭和天皇実録』な どの文献を読み込みながら、独自の視点で検証した労作である。
著者は信託銀行の元役員で、現在はフリージャーナリスト。敗戦までの朝日新聞を読んでの総括は、「戦争の朝日」か、「煽動の朝日」だ。たとえば、当時の一大キャンペーン「撃ちてし止まむ」。これは『古事記』からの引用だが、標語としての制作・普及は、陸軍と朝日の“共同事業”だった。特に普及面では、100畳敷きの巨大ポスターの掲示をはじめ、勇ましい記事の連打などで朝日は大活躍した。
著者は、日米開戦と同時に朝日が掲載した、「社長以下、従業員一同が軍に献金」という社告も見逃さない。また、後のミッドウエー海戦の敗北を「肉を切らせて骨を断つ捨身戦法に出て、これを成功したもの」と報じたことも然りだ。
元々、朝日は大正デモクラシー以来の「リベラル路線」だった。それが「軍縮支持」の記事などで販売部数が減り始めたことから方針転換。満州事変で完全に“開眼”する。中国悪人説を流布する本を出版し、満州国を承認したヒトラーとナチス・ドイツを礼賛し始めたのだ。そんな大本営追従の体質は、決して過去のものではないと著者は言う。なぜなら現在の朝日も、「中国共産党の僕(しもべ)のようにチベットやウイグルの『民族浄化』に終始『無言』を通している」からだ。
戦後の朝日は、「一億火の玉」の代わりに、「一億総懺悔」「民主化」「市民」を常套句として、煽動を続けていく。しかも誤報という弱点を抱えたままだ。先の「挺身隊慰安婦」問題もまた、その延長線上にある。確かに、昭和天皇は朝日がお嫌いだったかもしれない。
磯崎新、藤森照信
『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』
六耀社 3888円
日本を代表する建築家と、東大名誉教授の建築探偵。2人が茶と茶室の歴史を軸に日本建築を捉え直す。石と木の文化に始まり、茶を中国から導入した栄西、茶の巨人・利休、さらに『茶の本』の岡倉天心へと進む。究極の建築物である茶室には思想も凝縮されている。
(週刊新潮 2015.06.25 風待月増大号)