北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、朝ドラ「とと姉ちゃん」について書きました。
「とと姉ちゃん」と北海道
実在の人物は縁あるのに・・・
4月に始まったNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。浜松編が終わり、現在は東京・深川編に入っている。高畑充希の個性的なヒロイン、家族の強い絆、そして丁寧に描かれる戦前の日常などが、おおむね好評のようだ。
しかし、一点気になることがある。このドラマがモチーフ(何かを表現するときの動機や着想)にしているという実在の人物、大橋鎭子(しずこ)のことだ。戦後に誕生し、現在も続く雑誌「暮しの手帖」の創刊者である。その鎭子と、ドラマの常子がかけ離れているのだ。
たとえば、鎭子は浜松の出身ではない。育ってもいないし、住んだこともない。鎭子の自伝的エッセイ「『暮しの手帖』とわたし」には、「生まれたのは現在の市ヶ谷駅近くにあった病院」とあり、出身地は東京である。
父親の武雄さんは府立一中(現在の日比谷高校)を経て、当時の北海道帝国大学を出た人物だ。日本製麻株式会社に入ると同時に帰京。結婚して鎭子が誕生したが、2年後に妻と幼い娘を伴って北海道に工場長として赴任する。鎭子が入学したのは三笠市萱野の小学校だ。
北海道での子供時代について、鎭子は「野原で一日中遊ぶガキ大将」だったと言い、「そのころの私の無鉄砲さというか怖いもの知らずが、決心したら何としてでも実行するという、私の性格の土台になっているのかもしれません」と回想している。
やがて武雄さんは結核を患い、療養のため東京に戻ることになる。鎭子も牛込第一小学校に転校する。その後、武雄さんの入院先に合わせて、一家は鎌倉や東京で暮した。つまり、浜松は「架空の人物・小橋常子」の故郷かもしれないが、「『暮しの手帖』の大橋鎭子」とは縁もゆかりもないのである。
もちろんドラマなのだから、事実に基づきながらもフィクションが織り込まれることは承知の上だ。NHKも、モデルではなく、あくまでもモチーフだと言う。だが、多くの視聴者は主人公の小橋常子と大橋鎮子を重ねながら見ているはずだ。
実在の人物を下敷きにするのであれば、人格形成に関わる基本的な部分を大きく変えるべきではない。同じ実録路線でも、「マッサン」では広島、「花子とアン」では山梨、そして「あさが来た」でも京都が、主人公の生まれ育った場所として大切にされていた。
父が学生時代を過ごし、仕事で汗を流し、本人が幼少期を送った北海道。その風土と生活が、鎭子の人生に大きな影響を与えたことを思うと、残念でならない。
(北海道新聞 2016年05月02日)