「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。
壬生 篤 『池波正太郎を“江戸地図”で歩く』
誠文堂新光社 1,620円
「聖地巡礼」をご存知だろうか。いや、仏教の源流を訪ねてとか、サウジアラビアのメッカを目指すという話ではない。近年、映画やドラマ、漫画やアニメなどの舞台となった場所を訪れ、作品の世界にひたることを楽しむファンが増えた。それが、「聖地巡礼」と呼ばれている。
特にアニメには有名な聖地がいくつもある。『けいおん!』の主人公たちが通う女子高の建物のモデル、滋賀県の豊郷小学校。また、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台である埼玉県秩父市では、秩父神社などのスポットに若い巡礼者が絶えない。
池波正太郎の三大時代小説といえば、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人』を指す。本書は、古地図(切絵図)と現在の地図とを見比べながら、三作品に描かれた江戸の街を旅しようというものだ。いわば“大人の聖地巡礼”である。
たとえば、『鬼平』といえば本所だ。ここには軍鶏なべ屋「五鉄」がある。食べて飲むだけでなく、チーム鬼平の作戦会議を開いたりもする店だ。二階には鬼平を支える密偵の一人、相模の彦十も起居している。「竪川に架かる二ツ目橋の北詰」がその所在地だが、二ツ目橋は「二之橋」の名称で現在も存在している。
橋から少し南が弥勒寺で、その門前にあるのが茶店「笹や」だ。立ち寄った長谷川平蔵に憎まれ口をたたく、お熊婆さんの姿が目に浮かぶ。そうそう、本所には『剣客商売』の秋山小兵衛の囲碁仲間にして町医者の小川宗哲も住んでいるはずだ。
本書を読んでいくと、一つの場所で四つの風景が重なって見えてくる。作品に描かれた江戸、池波が少年時代に見た戦前、執筆していた戦後、そして現在の東京の風景だ。フィクションである小説だからこそ、よりリアルを求め、実際の街歩きを通じて体感した「場」の空気をも伝えようとした池波正太郎。江戸の街は、重要な脇役の一人だったのだ。
倉本聰 『見る前に跳んだ : 私の履歴書』
日本経済新聞出版社 1,728円
国民的ドラマ『北の国から』の放送開始から35年。草創期からテレビに関わった著者は、多くの名作を生み出し、81歳の現在も創作活動を続けている。幼少時代の思い出、怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾、演劇、そして自然と環境までを縦横に語る自伝エッセイだ。
石原慎太郎 『男の粋な生き方』
幻冬舎 1,728円
酒、旅、発想、賭けなど、28のテーマで語り下ろした人生論。「贅沢とは所詮自己満足」といった明快さが特色だ。また長年の文学生活が生んだエピソードも興味深い。伊藤整と寄付。三島由紀夫とスポーツ。小林秀雄と鮨屋。粋というより意気軒昂な83歳だ。
松田賢弥 『政治家秘書 裏工作の証言』
さくら舎 1,620円
「政治とカネ」の問題が起きるたび、秘書の存在がクローズアップされる。一方の議員先生は秘書に責任を押しつけ、逃げるばかりだ。その構造は、数十年前から最近の甘利明・前TPP大臣まで変わらない。裏金工作、金脈一族、野望と裏切りの実像に迫る労作だ。
(週刊新潮 2016年5月26日号)