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週刊朝日で、「とと姉ちゃん」についてコメント

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「仮にも名編集長でしょう!」
花森安治を叱った“とと姉ちゃん”
「暮しの手帖」創業者の大橋鎭子(しずこ)さんをモチーフとしたNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」が絶好調だ。高畑充希演じるヒロインが戦後、苦難の末、唐沢寿明演じる花森安治氏がモデルとされる名編集長と出版社を立ち上げるという物語だ。人気の秘密と「暮しの手帖」の魅力に迫る。

初回から視聴率20%超えが続く理由を、上智大学の碓井広義教授(メディア論)はこう読む。

「前作までの朝ドラ視聴習慣に加え、『とと姉ちゃん』は一つひとつのエピソードを丁寧に描き、日本人の暮らしの原点がある朝ドラ。困難な時代に夢を実現していく女性の一代記は“朝ドラの王道”でもあります」

今後、物語の軸は、雑誌編集部へと移るが、大橋鎭子さん(2013年に93歳で死去)が天才編集者・花森安治氏と共に創刊したのは「暮しの手帖」──。最盛期には100万部に近い発行部数を誇り、現在も出版されている生活情報誌だ。

自伝『「暮しの手帖」とわたし』(大橋鎭子著)によると、二人は会社を作る時に<もう二度と恐ろしい戦争をしない世の中にしていくために、一人一人が自分の生活を大切にする雑誌を作りたい>と約束。その気持ちが、現在も表紙裏に<これはあなたの手帖です>と記されている。

その「暮しの手帖」はどんな編集部だったのか。元編集部員の河津一哉さん(86)は、こう振り返る。

「創刊時から、編集実務に詳しいのは花森さんだけ。表紙の作画から、見出し、文章、カット絵、写真、新聞広告まで全てを抜群のセンスで仕切る編集長でした。この天才が仕事に没頭できるよう、雑事の処理を引き受けて陰で支え、部員に気を配ってくれていたのが、社長であり編集部員でもあった鎭子さんでした」

花森氏は「学校の論文が書けたから簡単だと思っているだろ。あんなものは文章じゃないぞ」と怒り、読者にわかりやすい文章を書くように、口を酸っぱくして言っていた。

「新人のときに“老眼と近視の違い”を記事に書くことになりましたが、何度書き直しても、花森さんは『わからない』と言う。赤字を入れたのを見ると、テンとマルしか残っていない。その時は、ふて腐れて“花森さんて頭が悪いんじゃないのか”と恨んだりしましたが(笑)、書き直された原稿は非常にわかりやすい。どうしたら追いつけるのか必死でした」(河津さん)

昭和天皇の長女・東久邇成子さんを始め、川端康成、志賀直哉などの著名な人の原稿を多数掲載していたことも人気の理由だ。

「鎭子さんは、鎌倉まで何度も足を運び、川端先生に原稿を依頼。『書いてあげる』と言われてもなかなか原稿がもらえず、最後はぶわーっと涙を流してお願いして、原稿をいただいたそうです。喜怒哀楽を真っ直ぐにぶつける鎭子さんのひたむきな姿は、著名な方からも可愛がられていました」(当時を知る出版関係者)

普段は名編集長だったが、芸術家肌の花森氏は、プイッと機嫌を損ねてしまったこともあったという。

「そんな時、社長の鎭子さんが花森さんに『あなたは、仮にも名編集長といわれる花森安治でしょう。それがなんですか、ちょっとしたことで怒りだして!』などと説得していました。そんなことを言えるのは鎭子さんだけ。二人は名コンビでしたね」(河津さん)

毎日15時には“おやつの時間”もあった。花森氏はいつも「早く文章が上手になってくれ」と怒ったが、おやつの時間には、意外な一面も見せたという。

「仕事が一段落し、遅れて花森さんが食堂にやってきたのですが、いただきものの“きんつば”を、既に皆で分けて食べてしまっていたんです。そしたら、花森さんは、『僕のきんつばはどうした!』と怒りだした。こんな時、花森さんは気取らず子供みたいに本気で怒り、皆で唖然としちゃいましたけど(笑)。のちに、“僕のきんつば”事件と呼ばれ、おもしろかった」(同)

さらに、週に一度、社交ダンスを習う日や、年に一度の豪華な社員旅行もあった。花森氏は「編集者たる者、一流のものを知らなければいい記事は書けない」と言い、伊豆、神戸、京都などの有名な旅館やホテルに宿泊。家族のような会社だったという。

高度成長期に次々と新製品が出た家電などの「商品テスト」は雑誌の目玉企画の一つになった。だが、はやるにつれ、雑誌を“お薦め商品ガイド”とみる読者も増えていたという。

「花森さんは、『商品テストを売りモノにしてはダメ』と言い、戦後焼け跡の中から生まれ、自分の暮らしを大事にする『暮しの手帖』の原点にかえろうと、一冊まるまる戦争特集をすることになりました」(同)

それが、1968年に発行された96号だ。戦争を体験した人たちから寄せられた文章で構成され、普段よりも早く売り切れた。

「ファッションや料理など、生活のことばかり載せていた雑誌が、一冊すべてを戦争中の暮らしの記録にすることは、大きな挑戦でした。初めに本屋さんを回ると『一体、どうしちゃったの』『もう戦争は嫌だ』と、店員さんに怒られてしまった。理由を説明すると納得してもらえたのですが」(同)

この特集は、人々が戦時中に、何を食べ、どんな日常を送っていたのか、記憶が薄れてしまわないうちにとまとめたもので、掲載の1年ほど前から募集した。「文章を書いたのは初めてという投稿もありましたが、切実とした思いが書かれていて、非常に印象に残っています」(同)

徴兵経験があり、かつて大政翼賛会宣伝部に属した花森氏なりの“贖罪”だったのかもしれない。NHK関係者は、「ドラマはあくまでフィクション」と言うが、前出の碓井教授はこう話す。

「天才といわれた花森さんの編集術や、雑誌作りは今作の大きな見どころ。現在も続く名物雑誌を生み育てた鎭子さんだからこそ、今後の展開に関心を持ち、視聴率が上がっていく可能性が高いですね」

今後の展開も目が離せない。(本誌・牧野めぐみ)

(週刊朝日  2016年6月10日号)




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