「週刊新潮」に、以下の書評を寄稿しました。
東京五輪のあった1964年、
それは大変化の前夜だった
渡辺 保『感性文化論
~〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史』
春秋社 2808円
NHK朝ドラ『ひよっこ』の物語は1964(昭和39)年秋から始まった。ヒロインの高校生・谷田部みね子(有村架純)たちは、東京オリンピックの聖火リレーが自分たちの村を通らないことを知り、自前の聖火リレーを実行しようと奔走する。
この「手作り聖火リレー」、なんと実話である。茨城県北部の村での出来事をドラマが取り込んだのだ。当時、オリンピックの開催は国民的慶事だった。国際社会復帰の証しというだけでなく、新幹線や高速道路などのインフラ整備は成長する日本の象徴でもあった。しかもそれは東京だけでなく、地方に暮らす人たちにも様々な影響を与えていった。
そんな東京オリンピックのあった64年という時期を、68年から70年代にかけて起こる「文化の大きな変化」の“前夜”として位置付けようというのが本書だ。聴覚文化論と音楽社会史を専門とする著者は、東京オリンピックの「実況中継」と市川崑監督の公式記録映画『東京オリンピック』に着目する。
その分析によれば、「実況中継」の文言はまるで一編の物語やドラマのストーリーのごとく構成されていた。映像が主軸であるテレビ中継のアナウンスとは異なっており、むしろラジオ中継に近い。この時期はテレビ時代の始まりというより、戦前から続いたラジオ時代の終わりだったのだ。
また映画『東京オリンピック』について、著者は映像における「記録」と「フィクション」の関係を探り、テレビという新興勢力との差異化を指摘する。「記録」という概念の捉え方が変わり始める、やはり“前夜”の作品だったのだ。
本書では69年に登場した、新宿西口地下広場「フォークゲリラ」の軌跡も検証している。政治の「感性化」「イメージ化」という現在につながる現象として興味深い。時代は一挙に変わるのではなく、地下水脈のような歴史の流れと共に動く。そのことを再認識させる力作評論である。
井上ひさし、井上綾
『井上ひさしから、娘へ~57通の往復書簡』
文藝春秋 1728円
井上ひさしの三女・麻矢には『夜中の電話~父・井上ひさし最後の言葉』という著書がある。今回、次女の綾が公開するのはタウン誌に掲載された互いの手紙だ。父は少年時代の思い出から病床での夢想まで、半世紀に及ぶ物書き生活の総括とも読める言葉を記している。
大重史朗
『実践メディアリテラシー
~”虚報”時代を生きる力』
揺籃社 1080円
著者は記者職を経て、現在はジャーナリスト。新聞やテレビなど既存メディアとインフラ化したネットメディアの両方を踏まえ、情報氾濫時代の生き方を探っている。話はすべて具体的だ。朝日新聞を主な対象として、報道の裏側と記事の“読み方”を伝授していく。
鈴木信平 『男であれず、女になれない』
小学館 1296円
小学館ノンフィクション大賞選考会を紛糾させたそうだが、さもありなん。「女になりたい訳じゃない。私は私になりたかった」という著者は2年前、36歳で男性器を摘出。卑下もせず尊大にもならず、生きづらさを抱えてきた軌跡を率直に語る姿勢はいっそ爽やかだ。
中森明夫 『アイドルになりたい!』
ちくまプリマ―新書 842円
アイドルと聞いて思い浮かべるのは山口百恵、松田聖子、それともおニャン子クラブ? 乱立する現在のグループアイドルも含め、アイドルとは一体何なのか。それは、「好き」になってもらう仕事だと著者は言う。アイドル評論家が書き下ろした初のアイドル入門本だ。
(週刊新潮 2017.06.01号)