倉本聰 ドラマへの遺言
第15回
加納英吉のモデルは
バーニング周防さんよりもっと大物
“芸能界のドン”である加納英吉(織本順吉)が、やすらぎの郷を開設した理由が明かされたのは第125話。可愛がっていた女優・大道洋子(大原麗子)の死に衝撃を受けたというのだ。加納の秘書が説明する。「彼女には仕事が全く来なくなり、彼女は精神に異常を来し、そのため友達もどんどん離れ、芸能界から忘れられて――3年くらい経っていましたか――アパートで独り死んでいるところを、死後1週間たって発見された。あの事件が全てのキッカケでしたよ」と。そして菊村栄(石坂浩二)たちは、大道洋子の思い出を語り合う。
マロ(ミッキー・カーチス)「可愛かったもんなア! あの時代の洋子は」
大納言(山本圭)「市川崑さんの撮った有名なウイスキーのCMがあったよなア」
マロ「うン」
大納言「あン時の洋子、最高だったね」
~中略~
洋子のCMの声がささやく。
声(大原麗子)「すこし愛して。ながーく、愛して」
栄、グラスを口へ運ぶ。その目から突然涙が噴き出す。
はるかから流れてくるトランペットの音。
(第125話から)
碓井 本物の大原麗子さんの声が印象的でした。倉本作品「たとえば、愛」(1979年、TBS系)でも主演でしたが、先生にとって大原さんは特別な女優さんだったんじゃないですか。
倉本 ええ。僕が富良野に住みついたときに一番最初に泊まりに来たのも麗子でしたしね。ギラン・バレーの症状が出始めた頃だったのではないでしょうか。とにかく、高倉健さんを紹介してくれたのも麗子だし、深かったですね。「絶交!」って電話を叩き切られたこともあります。森みっちゃんにも、ルリ子にも、まりこにも深夜に電話して延々しゃべるもんだから皆、困り果てるっていうね。
碓井 大原さんはドラマの黄金時代を生きた女優さんのひとりですが、その最期は孤独死に近いものでした。そうしたことへの怒りや、問題提起という意味合いも強かったのではないでしょうか。
倉本 このドラマの準備で最も時間をかけたのは、やすらぎの郷の成立要因。加納英吉がどれだけの資本金をもって、どういう事情でやることにしたのかっていう根っこの作業です。芸能人だけの老人ホームの話を描いた戦前製作の仏映画「旅路の果て」(48年公開)があるんですが、最後に破綻しかけるんですね。そうならない方法や基金は何かって。
碓井 加納英吉は視聴者の想像力を刺激する人物でした。
倉本 「加納英吉のモデルは周防さん(バーニングプロダクション代表取締役社長・周防郁雄)ですか」とよく聞かれるんですが、そうじゃない。もっと大物で、小佐野賢治、児玉誉士夫、あるいは甘粕正彦大尉のような人なんですよ。
碓井 甘粕まで入っていたんですか。関東大震災の際にアナキストの大杉栄を殺害し、服役後は満州に渡って満映(満洲映画協会)の理事長も務めました。
倉本 甘粕は陸軍でしたが、加納には元海軍参謀という過去を持たせました。〈暴力犯の陸軍〉に対し〈知能犯の海軍〉といわれたぐらい海軍の能力は秀でており、その「頭脳」を担っていた参謀たちは明晰かつ結束が固かった。海軍参謀とは終戦時に極東裁判で海軍からはA級戦犯を出さないっていう運動をするような組織。2009年放送のNHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」を見て、海軍参謀の面白さを知ったのは大きなヒントになりましたね。(つづく)
(聞き手・碓井広義)
▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。現在は、来年4月から1年間放送されるテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆中。
▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。
日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」