週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。
鏡 明:著
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』
フリースタイル 2,376円
著者がずっと書こうと思っていた「この雑誌」とは、「マンハント」のことだ。創刊は1958年。東京オリンピックがあった64年に終刊となっている。「読んだことがある人、手を挙げて!」と叫んでみても、多分そんなにはいないはずだ。当時、ハードボイルド・ミステリに特化した同名雑誌がアメリカにあり、いわばその日本版。つまり、相当マニアックな雑誌だったのだ。
すると今度は、「見たことも読んだこともない雑誌について書かれた本なんてパスだ」と考える人が出てくるだろう。当然ではあるけれど、それはもったいない。著者は「ミステリ雑誌」という観点からこの雑誌を語っているわけではないからだ。
まず、「マンハント」と出会って、自分がいかに触発されたか。次に、そのバックナンバーを集めるプロセスで、どんな活字文化を体験してきたか。そして、この雑誌を起点として玉突きのように広がっていった世界と自身の関係を振り返っている。実際、「マンハント」がなかったら、作家、翻訳家、評論家、さらに優秀な広告人でもある著者のキャリアはなかったかもしれないのだ。
本書には、「マンハント」に関連して嬉しい名前が続々と出てくる。植草甚一、片岡義男(当時はテディ片岡)、小鷹信光などだ。いずれも著者が愛読した連載コラムの執筆者たちである。小鷹へのインタビューでは、「マンハント」で展開されていた、自由過ぎる翻訳をめぐる話が興味深い。それはポジティブな“いい加減さ”であり、面白く読ませるための“型崩し”であり、後に訳者から何人もの作家が誕生したことを思うと、原文を素材とした“創作的翻訳”だったとさえ言えそうだ。
それにしても、この雑誌が今の自分のベースを作ってくれたと言える著者は、なんと幸せなことか。いや、逆かもしれない。雑誌には人の運命を左右する力がある。そのことを実感させてくれるのが本書だ。
(週刊新潮 2019年8月29日秋初月増大号)