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中日新聞で、「北の国から」について解説

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「北の国から」色あせぬ魅力 

来年、ドラマ放送開始から40年

 

「純と蛍」。役名で俳優の顔が思い浮かび、ドラマの場面を想起する。北海道を舞台にした国民的ドラマ「北の国から」の放送開始から来年で40年。24回の連続ドラマとスペシャル版を計約20年間、出演者をほぼ変えずに撮り続け、お茶の間は子役の成長ぶりに胸を震わせた。時代をへてもなお、色あせぬ魅力と撮影の裏側、現代のドラマについて、創り手たちに話を聞いた。

■常に臨戦態勢

田中邦衛演じる父親の黒板五郎と純(吉岡秀隆)、蛍(中嶋朋子)の兄妹が、東京から北海道富良野市の麓郷地区へ移り住み、地域の力を借りながら大自然の中で生活を営む物語。四季の美しい映像と、さだまさしの歌も印象的だ。脚本を手掛けた倉本聡は「当時はバブルの時代だったが、バブルとは無関係の作品だった」と語った。

連続ドラマは準備期間を含め、二年半かけて撮影した。黒板一家は、電気も水も通っていない廃屋に住む設定。一家の家は実際に現地に建設。出演者もスタッフも、氷点下二〇度以下の屋外に立ち続けた。

撮影スケジュールは山の天候に合わせるため、毎日、「晴れ」「曇り」「雪」の三パターン用意。役者は衣装のままで待機し、どのシーンでも対応できるように芝居の仕上がりを求められた。「常に臨戦態勢を取っていた」と杉田成道監督。偶然、現れたキタキツネなどの動物と触れ合ったり、足跡が残る場面を撮るのに新雪が降るのを待ったり、ドキュメンタリー並みの撮影だったという。

当時、吉岡と中嶋は十歳前後だったが、甘えは許されなかった。例えば、ネコという一輪車のリヤカーに石を積んで二人で運ぶ場面。通常は荷台にわらなどを敷き、映る部分だけ石を載せて軽くした上で「重く見える演技」をさせるが、「東京から来た」という設定をよりリアルに見せるため、石を満杯に載せ、よろめきながら運ばせた。

一月末に東京都内で開かれたトークショーで、中嶋は「求められることをひたすら、やり続けた。クニさん(田中)は仕事仲間として尊重してくれたから、頑張らなきゃって気持ちになった。完結したときは『人生が一つ終わるんだな』と感じた」と振り返った。

■地方と一丸で

「地方には、地方の価値観がある」。倉本が書いたドラマの企画書にあった言葉だ。当時は、東京が舞台のドラマがほとんど。倉本は「地元の人が見て納得する作品に」と取り組んだ。

スタッフらの送迎、飲食物や宿の手配、ロケで使う私有地の開放、エキストラの出演など、地元は総出で支援した。スタッフの一人は「地元の協力なしには成り立たなかった。フィルムコミッションの先駆けと言える」。

五郎の友人で地井武男が演じた木材会社社長のモデルとなった、麓郷木材工業の仲世古善雄社長は「メディアや観光客が押し寄せ、大変だった時期もあったが、スキー場とラベンダー畑しかなかった富良野の知名度が劇的に上がった」と目を細めた。

最後のスペシャル版「遺言」が二〇〇二年に放送され、一連のシリーズは終了したが、倉本はこう語った。「純は相変わらず、ごみ処理の仕事をしていて、蛍の息子は五郎のところに来て…。今も、頭の中で物語は続いている」

 ◇ 

有料放送の日本映画専門チャンネルで「北の国から」のテレビシリーズとスペシャル全話を毎週土曜午後十時から放送中。旧来の映像を見やすくしたデジタルリマスター版で送る。十五日午後五時からは、第一~六話が一挙に放送される。

◆バブルに逆行 本当の豊かさ教える

「北の国から」の視聴率は、連続ドラマの最終回で20%を超え、最後のスペシャル「遺言」では38・4%をマークした。

倉本聡との共著「ドラマへの遺言」(新潮新書)の著者で、上智大文学部新聞学科の碓井広義教授(メディア文化論)は「時代にかかわらず見てもらえる貴重な作品。北海道の映像の力が圧倒的で、主人公の五郎がヒーロー的ではなく、思い悩む姿に思い入れが強くなる」と評した。「バブルの世に逆行し、本当の豊かさを教えてくれたドラマでもあった」

毎年、各局からさまざまなドラマが創り出されているが「半分は原作があり、それなりには面白いが、原作の映像化ではなく、ゼロから生み出すオリジナルのドラマがもっと出てきてほしい。テレビ局は制作者の集団であるべきだ」。

放送局が番組を放送と同時にインターネットに流す「同時配信」が始まろうとしており「ローカル局で創ったものも全国で見られるチャンス。意欲をもって、ドラマを創ってほしい」。

倉本は「最近のドラマは『どう事件を起こすか』ばかり考え、根がしっかりしていない。技術も伝承されていない」と手厳しい。「ドラマは、人と人との化学反応で生まれ、普遍的でなければならない。どの時代で見ても感動できるという感覚で書いている」

番組の視聴方法が変わり、時間と費用のかけ方も四十年前と同じというわけにはいかない。ドラマの枠も少なくなった。それでも、倉本は言う。「創り手が本気で意識を合わせられれば、また多くの人に見てもらえる」 【花井康子】

(中日新聞 2020年2月15日)

 

 


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