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サンデー毎日で「海外テーマの70年代ポップス」について解説

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〔名曲の旅〕

コロナ禍だからこそ 

「名曲」で巡る世界の旅

◇海外テーマの70年代ポップスがブームに

◇「カナダからの手紙」舞台はバンクーバー?

 歌にはその時代の気分が反映され、時代も流行歌に影響される。今から半世紀近く前、海外を舞台にした名曲が立て続けにヒットした。海外旅行ブームが訪れるころである。コロナ禍の中、海外への旅は自粛せざるを得ないが、歌の中で世界を旅してみては--。

 1973年3月、それまでとは異質な新しい音楽が生まれた。高橋真梨子(当時は高橋まり)を2代目ボーカルに迎えたばかりのペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」だ。売り上げは50万枚以上を記録。

 外国人と思(おぼ)しき「ジョニィ」が登場し、海外の土地を連想させるような曲調と大人の恋を歌った歌詞も相まって新鮮さを感じさせた。遠く異国の地に思いを馳(は)せ、胸が躍った人たちも多かったのではないか。

 当時のポップス界は、高石ともやや岡林信康らが活躍した60年代後半の社会性のあるメッセージフォークの時代から、吉田拓郎「結婚しようよ」や井上陽水「傘がない」、かぐや姫「神田川」など、自分たちの身近な思いを歌う4畳半フォークへと移行していた。

 一方で、南沙織や天地真理、麻丘めぐみなどが相次いでデビュー。郷ひろみや西城秀樹、山口百恵なども続き、アイドルポップスの一大ブームを巻き起こす。テレビの歌謡番組も全盛期を迎えていた。

 そうした中で登場したのが「ジョニィへの伝言」だったのである。

 メディア文化評論家の碓井広義氏はこう分析する。

「作詞した阿久悠さんは時流に乗る人ではないので、4畳半フォークでもなくアイドルポップスでもない、違うカテゴリーの世界を表現したいと意図したはずです。そのとき一番効果的だったのは、日本の風土から離れてしまうこと。だから、どことも知れない海外の土地、そして『ジョニィ』という人物だったのでしょう。こうした歌はそれまでになく、先駆的な曲でした」

 阿久悠は、時代の音楽に挑戦し続ける改革者だったのかもしれない。

 ◇ジョニィ、五番街に見る男の未練

 ペドロ&カプリシャスはおよそ半年後、「ジョニィ」のアンサーソングともいえる「五番街のマリーへ」を発表。やはり50万枚を超える大ヒットを記録した。「ジョニィ」は女性の視点で、私のことは心配しないでとの伝言を託し、一方「五番街」は、男性目線でマリーの様子を気にかけるという、まるでコインの裏表のような内容だ。

「この2曲から透けて見えてくるのは、男の未練です。『ジョニィ』の女性は、もう男のことなど気にしていません。彼女は意外なほどにさばさばしています。その覚悟のような潔い感情は、73年当時のアイドルポップスでは描けない、そして4畳半フォークでも語られていない世界。舞台を海外に移したことによって、より鮮明にテーマが描けたといえるでしょう」(碓井氏)

 では、五番街とはいったいどこなのか。真っ先に思い浮かぶのは、アメリカのニューヨーク・マンハッタンの5番街だ。だが、トラベルエッセイストの小泉牧夫氏はこんな指摘をする。

「私見ですが、この曲で歌われているのはマンハッタンの5番街ではないような気がします。歌詞によると、五番街は古い街とのことなので、もっと内陸部にある小さな素朴な土地なのではないでしょうか。場末といってもいいかもしれません。ニューヨークの5番街はアメリカの中のアメリカ、大都会すぎます。もっと長閑(のどか)で、小さなバス停があるような街が似合うように思います」

 この「五番街」は、音楽的にも特徴があるという。作曲家で、大阪音楽大講師の綿貫正顕氏が言う。

「イントロが特に、演歌っぽくなりがちな音遣いをしているんです。俗にいう、ヨナ抜き音階です。ですが全然それを感じさせず、むしろドボルザーク『新世界より』の第2楽章、『遠き山に日は落ちて』のような世界観があります。一つ間違えると、ド演歌のべたべたな感じになる危険性をはらんでいるのですが、さすが都倉俊一先生の曲ですね」

 ペドロ&カプリシャスのこの2曲のヒットからおよそ5年。左表のように、海外をイメージした曲が立て続けに登場する。

 庄野真代の「飛んでイスタンブール」と「モンテカルロで乾杯」はともに、成田空港が開港し、日本人にも海外旅行が身近になり始める78年の曲。とはいえ、イスタンブールもモンテカルロも、多くの人はどんな場所か皆目見当がつかなかった時代、私たちの想像力をかき立ててくれた。

「それに一役買ったのが『イスタンブール』で使われているブズーキというギリシャの民族楽器でした。ギターやマンドリンに近い弦楽器ですが、それが日本とは異なるイメージを醸し出しています」

 と前出の綿貫氏は指摘する。確かに、ブズーキはイントロからエンディングまで曲のイメージ全体を決定づけている。ところが次の「モンテカルロ」には、シタールという楽器がイントロ部分で登場する。綿貫氏が続ける。

「イスタンブールとギリシャは地理的に近いからいいとしても、シタールはインドの弦楽器なんです。こうなると、日本ではない異国情緒が表現できればなんでもいいのか、それはインドやろ、と突っ込みたくなります(笑)」

 モンテカルロはモナコ公国の北東部に位置する地区。南フランスのニースからは1時間ほど、日帰りすることも可能だ。地中海に面した優雅な雰囲気が人気で、治安も非常に良い。海岸線の絶景は見ものだ。

 同じ78年には、平尾昌晃が作曲し、畑中葉子とデュエットした「カナダからの手紙」も多くの人から支持された。カナダを一人で旅しながら、彼が一緒にいたら素晴らしいのにと歌う女性の切ない心情が、軽快なメロディーに乗って描かれている。

 前出の小泉氏がイマジネーションを膨らませる。

「この女性が旅しているのは恐らく、バンクーバーでしょう。寂しい気持ちを抱え、ひとり街を歩く女性にぴったりときます。特に、バンクーバー発祥の地として名高いウオーターフロント、ガスタウンはレンガ造りのレトロな街並みが残っています。スチームクロックが15分ごとに蒸気の音を鳴らし、旅情をそそります。また、ダウンタウンにあるスタンレーパークには水上飛行機の発着所があり、日本にはない魅力たっぷりの街です」

 なんとも艶っぽい歌詞で一世を風靡(ふうび)したのは、79年2月に発表されたジュディ・オングの「魅せられて」。「エーゲ海のテーマ」の副題がついたこの曲について、前出の綿貫氏が解説する。

「この曲はそもそも海外に行ってまず映画ができ、映像ありきで完成したんです。阿木燿子さんが詞を書いて、その詞と映像を見て筒美京平さんが曲を作ったそうです。この曲の凄(すご)いところは、サビの最初の部分でややコードから外れているような音が、ロングトーンで伸びていくところです。非常に刺激的で印象に残るようにできています。意図的に狙っているところが凄いですね。分析することはできますが、作れと言われてもできるものではありません」

 ◇女性の自立と海外旅行の一般化

 79年10月には、無名の新人のデビュー曲が大ヒットした。久保田早紀の「異邦人-シルクロードのテーマ-」である。

「イントロの頭の部分は、エキゾチックなイメージの音遣いができるコード進行です。とても不安定なコードの響きですが、インドの民族音楽をイメージさせることに成功しています。かなり大胆で攻めている作り。プロの仕事といわざるを得なく、脱帽です。歌詞の内容を聴かなくても異国をイメージできる素晴らしい曲ですね」(綿貫氏)

 なぜ78年、79年の2年間に、海外を題材に取った名曲が多くあるのか。そのキーワードとなるのは「女性の自立」だと、碓井氏は指摘する。

「これらの曲の主人公はどれも女性であり、舞台は海外、そして一人旅。この三つの要素が具現化されている。背景にあるのは、女性の自立。70年代の後半から明らかに女性が変わっていく移行期にありました」

 77年には、雑誌『クロワッサン』が創刊された。それまでの女性のかわいらしさや美しさを追求するだけの雑誌とは一線を画し、働く女性、自立した女性のための雑誌というコンセプトだ。これに象徴されるように女性の意識が変化し、それが音楽にも表れてきたのだ。

「もう一つキーになるのが、海外旅行の一般化です。68年に海外に行った人は34万人だったのに対し、78年は352万人になっています。10年間で10倍。海外が特別な場所ではなく、手の届く異世界になり始めた。想像力が刺激されるようなイスタンブールとかエーゲ海などが歌に取り上げられているのが面白いです」(碓井氏)

 そのバックボーンには、女性の自立と身近になった海外があるということである。

 79年5月に発表されたサーカスの「アメリカン・フィーリング」は、JALのキャンペーンソングとして使われた。この曲を聴いてアメリカに行きたいと思えば、行ける時代になってきたということだ。

 歌は世につれ、世は歌につれ--。40年以上前の楽曲ではあるが、今なお深く胸に染み入ってくる曲が多い。秋の夜長、名曲の調べに身を任せ、異文化あふれる土地へ思いを馳せるのもいいかもしれない。【ジャーナリスト・青柳雄介】

(サンデー毎日 2020.10.25号) 


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