毎年恒例。
家内の実家で、田植えの手伝い。
この年中行事について、6年前に、このブログに文章を書いていたことを思い出しました。
懐かしいので、転載してみます・・・・
信州田植え紀行
この数日、信州にある<実家>2軒を回ってきた。それぞれの親の顔を見ること、こちらの顔を見せることが目的の第一。そして、大町にある家内の実家では、孫たちが「田植え」の手伝いをするのが恒例となっている。
母方の祖父母の家が農家だったため、私も子どものころは田植えや稲刈りをよく手伝った。特に田植えのときの、ふだんはあまり経験しない、あの泥の中に素足を入れる感触は今もしっかり記憶している。その年、初めて足を踏み入れた田んぼ。足の指と指の間に、にゅるっと浸入してくる泥も、しばらくは違和感があるが、そのうち、へんに気持ち良くなってくるのだった。
当時の作業は、まず「びく」と呼ばれる竹で編んだ小ぶりな籠に苗を入れ、腰にひもで縛りつける。その格好で田んぼに入り、親戚や近所の人たちと共に横一列に並んで、植え始めるのだ。大人たちは植えるのも速い。どんどん進んでいく。みるみる遅れながらも、こちらも必死で植えていく。ゴールとなる向こうの畦が、子どもたちには遥か彼方に思えた。それでも、数日がかりで何枚もの田んぼの田植えが終わると、ちょっと一人前になったような気がしたものだ。
そして現在。田植えは、ほとんど機械で行われる。家内の実家でも、もうだいぶ前に導入された田植え機「ISEKI 500DX」が活躍している。トラクターの後部に、苗のブロックみたいなものが5列セットされていて、田んぼの中を走行しながら次々と苗を植えていく。5列であるから、昔なら5人が並んで植える分を、一台で淡々と植えていくのだ。機械の中でも、植える「手」に当たる部分の動きは見事で、まるでロボットである。以前、人の手で行っていたころに1日がかりだった広さの田んぼも、田植え機なら3時間で済ませてしまう。こんなものを「普通の道具」にしてしまう技術力に、あらためて感心した。
で、人間である我が家の子どもたちが何をするかといえば、田植え機が植えられない「死角」の部分に苗を植えていくのだ。田植え機は田んぼの中を何往復かするが、畦の近くまで行ってはターンする。すると、「四角い部屋を丸く掃く」感じとなり、そこに余白が生まれる。機械が植え残した部分を、人間が手で植えていくわけだ。
こうして家内の実家がもつ何枚かの田んぼは、すべて田植えを終えた。昨日はややぐずついた天気だったが、今日はまったく雲のない晴天。苗が植えられたばかりの田んぼの水面に、北アルプスの山々が逆の姿で映っている。苗は急速に伸びるため、この美しい風景は期間限定の貴重なものなのだ。
その美しい田園風景の背後には、減反政策でしばられ、安い米価でいじめられる農家の現実がある。実際、一般的な農家が、米だけを作って生きていくのはほとんど無理というのが現状なのだ。生活していけなければ、当然後継者も生まれない。自分ちの代で農家は終わり、という家が集落全体で何軒もある。アルプスを逆に映す水田の風景も、いつまで見られるのか、わからない。
さて、田植えの手伝いのご褒美は、地元の女衆がやっている蕎麦屋さんだった。店の名前は『そば処 しみず』。清水という地区の農家が栽培した蕎麦粉を使って、清水の女性たちが打っている蕎麦を食べた。もりそば、かけそば、各650円。もりそばの大盛が800円で、それに山菜のかきあげ150円を追加した。そば本来のいい香りと、こしの強さ、素朴な味のつゆもよかった。
帰り道、近くの酒屋さんに寄って地酒探し。今日選んだのは『白馬錦 雪どけ吟醸』だ。720ml、1470円也。これまた蕎麦屋さんのある清水地区でとれた米で造られている。ラベルに刷り込まれた「安曇野契約栽培美山錦」の文字が嬉しい。入手した1本を大事に抱えて、信濃大町駅から新宿行きの「特急あずさ」に乗った。
(碓井広義ブログ 2008.05.06)
・・・・上の文章で、6年前、田植えを手伝っていた「我が家の子どもたち」。
大学生だった姉は、現在社会人となっており、このゴールデンウイーク中も、取材で関西を走り回っています。
また、中学生だった弟は大学生となり、運動系サークルのキャプテンとして、70名の仲間と河口湖で合宿中。
どちらも今年の田植えには参加できませんでした。
6年というのは、(当たり前とはいえ)結構まとまった時間なんですね(笑)。