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週刊新潮で、「マッチ」と「トシちゃん」についてコメント

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芸能生活35年は同じでも
ギンギラ「マッチ」と哀愁「トシちゃん」
マッチこと近藤真彦(51)といえば、対のように思い出され、人気もやや上回っていたのはトシちゃんこと田原俊彦(54)である。ともに芸能生活が35年におよび、片や紅白歌合戦で白組のトリを務めるなど今なお“ギンギラギン”だが、トシちゃんのほうは……。

昨年の紅白歌合戦について、上智大学の碓井広義教授(メディア論)は、「ジャニーズ祭り」と名づけたうえで、こう語る。

「一事務所から7組、総勢34人もの出場は過去最大です。NHKは、人気がある彼らを今後も使っていきたい。そこでトリまで任せる重用ぶりをアピールした。近藤真彦は、NHKがジャニーズをこれだけ遇していますよ、という象徴です」

だが、実は、ジャニーズ事務所にとって、かつて救世主であったのは、マッチよりもむしろ、トシちゃんだったのである。

「1980年代、テレビ各局の人気音楽番組で、田原も近藤も引っ張りダコ。75年に郷ひろみが移籍後、パッとしなかったジャニーズ事務所から久々に登場したスターで、人気は田原のほうが少し上でした」(同)

実際、田原は80年6月に歌手デビュー以来、ジャニーズの記録を次々と塗り替えた。古参の記者が言う。

「『ザ・ベストテン』の最多出場記録を誇り、ドラマで主演のジャニ・タレが主題歌を歌うという、現在よくあるパターンの走りも、田原が『ラジオびんびん物語』に主演し、『どうする?』を歌ったのが最初。次作『教師びんびん物語』は、フジテレビの“月9”で初めて視聴率30%を超えた。ベストジーニスト賞もベストドレッサー賞も、田原の受賞がジャニーズ初で、『an・an』の“好きな男”ランキングでも、87年から4年続けて1位でした」

一方、田原に半年遅れて歌手デビューした近藤は、

「せめて歌で田原に勝ちたいと、慕っていた作家の伊集院静に泣きついて『ギンギラギンにさりげなく』や『愚か者』などの歌詞を書いてもらい、レコード大賞も獲りましたが、ドラマの主演もある田原のほうが露出は多かった」(同)

■従順な社畜

その立場がすっかり逆転してしまったのは、94年のことだった。あの「ビッグ発言」とジャニーズ事務所からの独立である。

だが、そこに至るまでの伏線があった。

「中山美穂と交際してマスコミの取材攻勢に遭い、91年、婚前旅行先のハワイにもマスコミがついてくると、田原は雲隠れし、中山1人が成田に帰国。他事務所の若い女性をエスコートしなかったことも怒られた田原は、事務所に不満を募らせます。中山と破局し、モデルの向井田彩子と結婚すると、94年3月に独立しますが、その前月、長女の誕生報告の際に“プライベートは何ごとも隠密にしたかったけど、僕くらいビッグになるとそうもいかないんだよね”と発言。もはやジャニーズ事務所に遠慮が要らないマスコミは一斉に批判し、独立後も、テレビ局はジャニーズに遠慮し、よほどのことがないと起用しなくなりました」(先の記者)

で、トシちゃんの現状である。新曲が4作続けてオリコン30位以内、という吉報もあるが、

「グアム政府観光局のCMでは、赤いスーツを着て往年のステップで砂浜を踊りながら叫ぶ。うかれっぷりに切なさが止まりません。唯一のレギュラー番組、TBSの『爆報! THEフライデー』も、往年の姿で発言して爆笑問題にたしなめられるというもので、滑り具合が痛々しいんです」

と、ライターの吉田潮さん。マッチについては、

「一時はカーレースにのめり込んでも、ジャニーズ事務所に“長”として所属し続けた結果、ご褒美に紅白のトリがもらえた。かつての不良な感じはどこへやら。今や従順な社畜です」

寄らば大樹、という教訓にすべきか……。

(週刊新潮 2016年1月14日迎春増大号)

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