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番組制作の「これまで」と「これから」を考える

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ZDNet Japanの講座で、デロイト トーマツ コンサルティングのエリック松永さんと対談を行いました。

ちなみに、ZDNet Japanは「CIOとITマネージャーの課題を解決するオンラインメディア」。

エリックさんは、ここで「エリック松永のメディア・デモクラシー講座」を開いています。


エリック松永のメディア・デモクラシー講座

「テレビ番組制作の黄金時代」から
これからのメディアの価値を再考する

どうメディア業界を盛り上げていけばいいのか



現在メディア業界はインターネットの盛り上がりとは逆行し縮小傾向にあります。これは、無料動画サイト、無料音楽サービス、定額聴き放題サービス等を通して、メディアのコンテンツが安価でかつ即入手できる状況を考えると異常な事態です。観たい、聴きたいコンテンツが周りにいくらでもあるのに手が出ないお金を払わない、それは何故なのでしょうか?

最新の技術動向を追いかけるのを少し休み、そもそも過去、メディア業界が元気だった頃、なぜ皆がドキドキ、ワクワクと夢中になってコンテンツを追いかけていたのかを考えましょう。ということで、当時のキーマンをゲストにお招きし、インタビューを実施しました。

今回は独立系映像制作のパイオニアであるテレビマンユニオンで数々の名作をプロデュースした碓井広義・上智大学教授をお招きしています。

“ワクワク”する権利を奪われてしまった
--現在のテレビメディアの課題

エリック松永 まず、あえてメディアデモクラシーという言葉を使わせていただきます。わたしが提唱するメディアデモクラシーとは、インターネット時代になり、映画、音楽、ドラマなどのコンテンツがテレビだけではなくタブレット、スマートフォンの中で氾濫するなか、なぜかわれわれはワクワクしてコンテンツを追いかけることが極端に少なくなってしまったように感じるのです。

ワクワクはコンテンツへの欲求の重要な部分で、購買にも直結する。だからこそ、もう一度ワクワクするために過去からなぜわれわれがワクワクしたかを棚卸しし学ぶ。そして勿論そのままの形ではなく、それを現代の環境に再現する。そうすることでワクワクを取り戻し市場を活性化する。今こそメディアデモクラシーが業界に必要だと至ってシンプルに考えています。

テレビは、かつて圧倒的なトップメディアだった



碓井 メディアデモクラシー、大変興味深い考え方と思います。わたしもワクワクの気持ちが今の時代に欠けてきていると肌で感じてきました。実は、わたしになりにどうしてそうなってしまったのか考えたことがありました。

わたしはテレビを軸に活動してきましたが、テレビ放送が始まって今年でちょうど60年です。ただ、古いか新しいかで言えば、写真が200年、映画が100年なので、ようやくテレビというメディアが一人前になりつつあるのかなととらえたいです。だが、一方で60歳をすぎもう還暦、あとは衰退あるのみだという人もいます。

いずれにせよ、60年たってテレビというものが世に出た当初とはだいぶカタチが違ってきています。特に、ここ10年、もっとつめればこの5年くらいで大きな変化が起こってきていると考えています。

時系列に考えてみると、テレビというメディアが1953年にスタートしたころは、映画という大きなメディアがそこにありました。毎週新作を見に映画館へ通っていたところにテレビが入ってきて、家庭で番組を視聴できるようになった。そして、あれよあれよという間にテレビが映画を追い抜き、あっという間に主役に躍り出ました。つまりここで、主役は映画からテレビへ、という世代交代が起こったわけです。

そういう意味では、現在は、長い間お茶の間のメディア王として君臨してきたテレビの位置付けが変わってきたということなのかもしれないです。いままで圧倒的なトップ、主役だったテレビが、デジタルメディアの一員、いうなれば大勢の中のひとつ、one of themになってきているのではないでしょうか。

ただし、わたしはこれを悪いことだとは思っていません。テレビ産業、放送産業という側からみれば売上低下、視聴者のテレビ離れというのは切実な問題としてあるとは思います。問題は、「テレビはデジタルメディアの一員になった」という事実を業界は認識せずに、60年前と同じビジネスモデルを続けてきたということです。

まさに、今そのツケが出てきているのではないでしょうか。重要なのは、「今のリアルな現実をきちんと見ましょうよ」ということと、「テレビというメディアが持っている原点を振り返りもう一度話し合いませんか」ということだと思います。

かつては(業界に)元気がありました。特に草創期にはフロンティアとしての活気と面白さがありました。放送開始60年をきっかけに、デモクラシーという意味で視聴者と制作者の双方が、もう一度テレビというメディアを使って、ゼロから新しいことをやり始めるべきではないでしょうか。

なぜ放送局から独立して「もの」を作ろうとしたのか

エリック松永 より良いコンテンツを制作したいという思いはいつの時代も同じですが、約40年前、テレビ局から離れて番組制作をしようと立ち上がったテレビマンユニオンには、どんな背景があったのでしょうか。当時、もの(番組)を作る役割と放送を行う役割両方を放送局が担っている中、テレビマンユニオンが放送局から独立して「もの」を作るのは自分たちだと宣言し、制作会社を興した理由は何なのでしょうか?

碓井 テレビマンユニオンができたのは1970年2月。1953年に放送が始まってからそれまでは、番組制作と放送の2つをテレビ局が一手にやっていました。1970年に日本にそれまでなかった会社としてテレビマンユニオンが始まったのです。いわば突然変異です。それ以来、たった一社だった制作会社が何百社となりました。今日本で作られる番組で75〜80%は制作会社がかかわっています。

今、すべての制作会社が活動をやめたら、テレビは8割が真っ暗な画面になってしまいます。それぐらい今の放送業界にはなくてはならない存在となってきました。

テレビマンユニオンを創立した人たちにとっては、組織の中におけるクリエイターの限界を感じていたというのが一番大きかったと思います。放送局がビジネスとクリエイティブの両輪で回っているとすれば、(放送局の中で)クリエイティブのほうに特化しているという立場が難しくなってきたということがあったのだと思います。当然のことながら、放送は国民の財産である電波をお借りしてやっている事業です。

そういう意味で、クリエイティブ行為を突き詰めていくとき、企業としての放送局との間にあつれきがありました。自分たちは会社員なのか、モノを作るクリエイターなのかという問いを突きつけられていたのです。その時に、「モノをつくりたい」という想いにかけようじゃないか、ということだったと思います。コアメンバーは10人程度のわずかな人数でしたが、そこからすべて始まりました。

テレビマンユニオンが持つ独自の報酬体系システム

ただ、当時の放送業界では最初から衝撃というようなものではありませんでした。業界全体の雰囲気としては、「ああ、無謀なことをはじめたな、半年くらいでつぶれるだろう」というくらいの見方をされていたと思います。制作会社というのが単独で成り立つはずがない、需要もないだろうと、それくらい冷めた反応でした。

それが段々変わり始めました。なぜなら、制作会社として作ったコンテンツが局内のクリエイターが作ったコンテンツとは何か違うな、ということが認められ始めたからだと思います。なぜそういった違いが現れるのか。ひとつは「自分たちは何を対価に報酬をもらっているのか」の意識の差があると思います。

例えば、いまだにテレビマンユニオンは、いわゆる給料ではなく出来高制です。つまりコンテンツを作って初めて報酬を得ることができるシステムを設立当初から実施しているのです。創立メンバーが参考にしたのはベルリン・フィルと相撲協会のシステムだといわれています。自分たちで仕事をつくり、その分だけ報酬を得る。働かざるもの食うべからず、働くのだったら、その場を自分でつくれと、そういう意識でいました。

一方、自分たちが単純にやりたいことをやるということではなく、オーダーを受けることにクリエイティビティーを発揮したということがあったからうまくいったという側面もあると思っています。

つまりやりたいことがあるから独立したという話ではありません。先方からオーダーされた枠の中で、見る人がどれだけ楽しいかを追求してきました。制約とコンテンツにかける想い、両方が相まって、結果的に、局のような組織のルーティンからは出てこない発想のコンテンツを作り続けてきたのではないかと考えています。

制作会社はもの作りの明確なスタンスを持つべき

エリック松永 現在の番組制作会社は、放送局の下請け会社と化しているようにもとらえられますよね。予算もどんどん削られ厳しい状況になっています。当時と現在では、制作会社を取り巻く環境、“ものづくり”への姿勢に何か違いはあるのでしょうか?

碓井 それは、オーバーな言い方をすればスタート時点でのスタンスの違いだと思います。テレビマンユニオン設立時には、非常に明確なグランドデザインが描かれていました。 単純に仕事を請け負うのではなく、「自分たちの創造性と自立性を守ること」を明確に主張していました。そういったスタートのところの哲学、自分たちのモノ作りに対するスタンスの違いではないでしょうか。

一方、1970年代以降、日本は景気が上向いていくと、それに比例して放送局からの仕事も増えてきました。そういうなかで請け負っていれば、ビジネスとしては成り立つという状況が生じてきました。放送局から言われたことをやっていれば、会社は潤い、社員の給与も上がり、それを良しとする、それを当然と考える制作会社が増えていったのです。

考えてみると、テレビマンユニオンが導入した出来高制のシステムは、この40年間、どこの制作会社も採用していません。テレビマンユニオンとほかの制作会社の現状との決定的な違いはそこです。

テレビマンユニオンのやり方は、自分で企画し、自分でプロモートして番組として成立させ、自分で作るという極めてシンプルなやり方ですが、実はこれはものすごく過酷なことであり、だからこそ、ほかの会社では真似はできなかったのかもしれません。業務命令があり、与えられた仕事があって、普通に働いて給料をもらう、この方が楽だったのでしょう。テレビマンユニオンも経営的には厳しい時期はあったが、出来高制システムを続けてきているところが(コンテンツ制作に対する想いとしては)決定的です。もし、出来高制システムを途中で捨ててしまっていたら、結果は違っていたと思います。

もう1つ特徴的なことで、テレビマンユニオンは組織の理念として、「合議、対等、役割分担」という3原則を揚げている点です。社内に人間的な上下関係はなく、業界に10年いても、新人であってもテレビマンユニオンの中ではものづくりに携わる人間として、対等に意見を言い合う、切磋琢磨しあう仲間である、という考えが根付いています。10年選手も新人もものづくりの人としてテレビユニオンの中では対等でした。この3原則もいまだに続いています。誰も社長を社長と呼びません。「○○さん」と呼びます。なぜなら、社長は役割分担の一環として選挙で選ばれているからです。わたしも代表取締役常務を経験しましたが、役職名で呼んだことも呼ばれたこともありませんでした。

3.11で問われた視聴率至上主義の功罪

こういった変化は視聴者側だけでなく、送り手側にもあります。大きく流れが変わったのが1980年代。フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」と打ち出し、営業的にも大きな業績を挙げたことにより、放送各局はこぞって「楽しい」側面を強調した番組にシフトしていきました。

しかし、テレビには「楽しいだけ」ではない側面もあったはずです。なのに、放送側はあえて「楽しいもの」以外は除外していってしまいました。テレビは楽しいだけ、面白おかしければそれでいいメディアとして躍進してしまいました。

こうした風潮はいわゆる「視聴率至上主義」となって表れ、結果的にコンテンツの堕落を招くこととなりました。例えば、90年代に日本テレビが視聴率をとることが善であるという社是を10年間掲げましたが、その結果、番組制作のクリエイターたちは、中身が見るに耐えなくても、視聴率を取れるようなコンテンツが作れば重用され、中身が良くても視聴率が取れないようなコンテンツを作るクリエイターは現場から排除されてしまいました。

さらに、2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。原発報道を巡り視聴者は、テレビが、自分たちが知りたいことを本当に伝えているのかと疑問を持つようになりました。もっと言えば、テレビのうそがばれてしまったのです。テレビは企業の情報を都合よく流していた側面があったのが、それが3.11でばれてしまいました。テレビには娯楽と情報(報道)の2つの機能があります。娯楽の部分では90年代に劣化がみられてしまっていたが、3.11で情報の面でも質の低下がばれてしまいました。

テレビ業界はどう変わるべきか

碓井 最近、放送局の人たちと話をすると、入ってくる新人や入ろうとする学生の志向が変わってきたとのことです。かつては、番組をつくりたい、質の良い番組をつくりたいと思って入ってくるのが当たり前でした。しかし、現在は、番組をつくりたいというのではなく、テレビ局の人になりたいという風になってきたようです。

ある時期から放送局が日本の中でも給与も高い優良企業となり、カッコよさそうだというふうに見られるようになりました。そういった意味では、違う人種の人たちが放送の世界にどんどん入ってきたのです。

今までにはないモノを作ろうということになると、人とは違った感覚とかちょっとはみ出た感覚が必要となりますが、現在のテレビ局には、頭の良い優等生たちがその人員の大半を占めています。以前であれば、商社なのか銀行なのか、要するに実業にいくべき普通の人たちが、本来はもう少し混とんとした職場であり、雑多な人員で構成されるべきテレビ局の職場に来てしまいました。世界をひっくり返すような何か突出した発想、何か新しいことをやってやろうという意欲を持った人が入りづらくなってしまったのです。

クリエイティビティーとビジネスセンスのバランスをもつべき

テレビはクリエイティブ(ものづくり)とビジネス(営業)の両輪が程良い大きさで回るから前に進めるのです。それが1980年代からビジネスの車輪が大きくなってしまい、バランスが取れなくてうまく前に進めなくなってしまいました。そうした中で景気が傾き、スポンサーは削減しやすい広告宣伝費を削減する、その煽りを受けて放送局は制作費を絞るようになりました。2003年の制作費をピークに削減傾向になり、2008年のリーマンショックで制作費がさらに下がりました。

制作費が高いから良いものが作れるわけではありませんが、2008年以降似たような出演者たちの組み合わせを少し変えるだけで番組を作った結果、画一的な番組ができ、出演者たちの内輪の笑いを放送するようになりました。そうした番組が放送されることに視聴者も嫌気が差し、テレビを見なくなっていき、そして、視聴率が下がれば広告宣伝費が下がるという「負のスパイラル」に陥ったのです。一方でインターネットが普及し、魅力的なコミュニケーションの場になってきたのではないでしょうか。

このように考えていくと、1953年にはじめてテレビ放送が始まったときのワクワク感を、60年かけて、皆で削いできたようにみえます。いま必要なのはテレビならではの可能性を探っていくということ、“ものづくり”としてテレビが蓄積してきたことを生かしながら前に進むことです。タイミングはまさに今であり、今こそが、テレビメディアのデモクラシーであり、「Re-Start」の時期なのではないでしょうか。

日本のテレビメディア業界の在り方

エリック松永 なるほど、視聴率至上主義から生まれたビジネス偏重が現在の課題で、適切なビジネスとクリエイティビティのバランスに戻さなければいけないという事ですね。そのためには、制作会社はもの作りの明確なスタンスを持ち、「もの」を作る情熱のある人材を集めなければいけない。そのヒントとしてテレビマンユニオンの経験、例えばモチベーションを維持するための報酬システムのようなノウハウが業界活性化に役に立つと考えているということですね。


松永 エリック・匡史(デロイト トーマツ コンサルティング)
塩崎 奈緒子(デロイト トーマツ コンサルティング)

(http://japan.zdnet.com/ 2013年08月09日)

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