「週刊新潮」に、以下の書評を寄稿しました。
米軍で大隊長も務めた日本人
男が戦後、果たした役割とは
鎌田 勇
『皇室をお護りせよ!~鎌田中将への密命』
ワック 1728円
80年代に、『戦後の検証~吉田茂とその時代』と題する、4夜連続放送のドキュメンタリー番組の制作に携わった。当時すでに高齢化していた元GHQの人々など、日米の当事者・関係者の証言を集め、占領期を立体的に捉え直す試みだった。
その制作過程でかなりの資料に当たったが、不十分だったようだ。恥ずかしながら、鎌田銓一・陸軍中将 のことを本書で初めて知った。明治29年生まれ。陸軍幼年学校、陸軍砲工学校、京都帝大などを経て渡米。イリノイ大、MITで学ぶ。さらに昭和8年からは日本軍将校のまま米軍の工兵連隊に入隊し、大隊長まで務めた。帰国後は陸軍省交通課長などを歴任。野戦鉄道司令官として、北京で終戦を迎えた。この特異なキャリアが、戦後の鎌田に大きな“役割”を担わせることになる。
昭和20年8月28日、厚木飛行場にマッカーサー司令部の先遣隊が到着した。降り立った隊長が出迎えの日本人たちに向かって言う。「ミスター・カマダはどこだ?」と。この人物こそ、米軍工兵連隊の大隊長時代の部下、テンチ大佐だった。
やがてマッカーサー元帥も乗り込んできて、GHQによる日本占領が本格的に開始される。鎌田はテンチ大佐との「工兵の絆」を生かし、米軍との調整で最前線に立つ。中華民国軍(国民党軍)の名古屋進駐が目前に迫った時、これを阻止すべくマッカーサーを動かしたのも鎌田だ。
いや、それ以上に驚いたのは、「政府の要となるべき終連は、あまり機能していなかった」という記述だ。吉田茂の要請で、終連(終戦連絡中央事務局)の参与に就任していたのは、あの白洲次郎である。前述の番組でも、占領期における白洲の活躍や武勇伝を紹介したが、鎌田の知られざる貢献はそれ以上かもしれない。特に皇室の保持に関してはそうだ。
実は鎌田の息子である著者。自宅でマッカーサーにピアノ演奏を聴かせた少年は、日本に一人しかいない。
東野圭吾 『恋のゴンドラ』
実業之日本社 1296円
スキー場を舞台とする連作短編集だ。表題作の主人公・広太は、同棲している美雪の目をかすめ、他の女性と泊りがけでスキー場へ。女性4人組とゴンドラに同乗するが、なんとその中に美雪がいた。7つの話が見事にリンクし、恋という名のサスペンスを堪能できる。
(週刊新潮 2016.12.22号)