本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/columns/1677525
黒澤明監督と黒澤映画を“読む”楽しみ(その2)
正月休みに、黒澤明監督の『天国と地獄』を観直した。個人的には、黒澤作品の中で最も好きな1本だ。
元々は調べたいことがあって、「冒頭部分だけ観よう」なんて思っていたのに、いやあ、権藤邸でのオープニングから、もう目が離せない。ついつい最後まで観てしまった。映画は(ドラマもそうだけど)、まず脚本だなあ、とあらためて実感する。
原作としてクレジットされている、エド・マクベイン『キングの身代金』も面白いけれど、こうなると完全な“別物”だ。
演出も役者も素晴らしいが、モノクロで映しだされる当時の横浜の風景がいい。映画の中の“風景”は、そのままフリーズドライというか、いわば保存されているわけで、昭和30年代の空気を体感できるのが嬉しいのだ。
また、「こだま号」の車内から、外を撮影する際の邪魔になるからと、線路沿いの民家の二階をバラした(撤去した)話は、何度聞いても(読んでも)「いかにも黒澤監督!」というエピソードであり、この作品を観るたび、ニヤリとしてしまう。
浜野保樹:編・解説『大系 黒澤明』全5巻(講談社)
浜野保樹:編・解説『大系 黒澤明』(講談社)の第2巻を開いてみる。
このシリーズは時間順で構成されているが、第2巻は1952年から73年までを扱っている。それは、「東宝への復帰」から「時代劇三部作」を経て「黒澤プロダクション」へと、ダイナミックな時代に当たる。
嬉しいのは、この時期に生み出されたのが『七人の侍』『用心棒』『天国と地獄』などで、私の好きな作品が多いことだ。中でも、11両編成の「特急こだま」を借り切って行われた『天国と地獄』の撮影裏話は、読んでいてもわくわくする。
また、撮った作品だけでなく、実現しなかった企画や作品に関する文章や発言を読めるのも有難い。
たとえば、1964年に開催された「東京オリンピック」の記録映画についてなど、とても興味深かった。黒澤側が提示した予算と、組織委員会のそれとが大きく食い違い、結局、この仕事から降りてしまうのだ。代わりに撮ったのが、市川崑監督だった。
そういえば、黒澤監督は『トラ・トラ・トラ!』も降りたが、その辺りの内幕というか、事情も出てきて、飽きさせない。
この『大系 黒澤明』全5巻、黒澤監督の「全著述・全発言を集大成」という堂々のフレコミに嘘はない。
雑誌に載った小さな文章や、埋もれていた座談会もしっかり収められているし、初めて見る写真も満載だ。浜野保樹さん(東大教授)のまさに労作である。
上島春彦 『血の玉座~黒澤明と三船敏郎の映画世界』(作品社)
上島春彦 『血の玉座~黒澤明と三船敏郎の映画世界』(作品社)は、黒澤明に関する出版物の中でも異色の一冊。俳優・三船敏郎に注目し、黒澤映画を「三船が主演した16本から解読する」挑戦的な試みだ。
例えば「ボディ・ダブル~黒澤的分身の成り立ち」は、主人公と敵対者や師との関係を「分身」という概念で捉える論考。著者によれば、『野良犬』とは三船を指すだけでなく先輩刑事の志村喬も同様。そして木村功が演じる犯人は狂犬。いずれも“青二才”三船の分身なのである。
また「血の玉座~『蜘蛛巣城』論」では、内と外を隔てる「門」に着目する。『羅生門』や『赤ひげ』に登場する門とも比較しながら、一見建造物に過ぎない門が登場人物たちの関係性を伝えていることを明かす。
ある意味で黒澤の分身でもあった三船が“青二才”でなくなった時、二人に長い別れが訪れた。
都築政昭 『黒澤明~全作品と全生涯』(東京書籍)
元NHKカメラマンで、その後大学の教壇に立ってきた都築政昭さんにとって、10冊目の黒澤本である。評伝と作品研究はもちろん、黒澤のシナリオ作法やカメラワークに関しての解説が出色だ。「何を描くか」「いかに描くか」にこだわり続けた黒澤の真髄がここにある。
ステュアート・ガルブレイス4世:著、櫻井英里子:訳 『黒澤明と三船敏郎』(亜紀書房)
著者はアメリカ人映画評論家。黒澤と三船の生涯を一冊の伝記とすることを目指し、厚さ5㌢の大部にまとめ上げた。特色は映画公開当時の欧米の評論が多数引用されていることだ。また関係者たちへのインタビュー取材も資料的価値が高い。
佐藤忠男 『喜劇映画論~チャップリンから北野武まで』(桜雲社)
「お笑い芸の範囲にとどまらない演技術の歴史を書きたいと思っていた」と佐藤さん。本書には小津安二郎のギャグから黒澤明作品における道化、さらにウッディ・アレンが生み出す笑いの解読までが並ぶ。かつて低俗文化と呼ばれた喜劇が持っている豊かさと鋭さを知る。
野上照代 『もう一度 天気待ち~監督・黒澤明とともに』(草思社)
野上照代さんは、黒澤明監督作品には不可欠だったスクリプター。身近で見てきた監督と俳優、制作現場の秘話までを開陳している。以前出た回想記に、新たな書き下ろしを加えた復刊だ。三船敏郎や仲代達矢はいかに黒澤と切り結んだか。監督の執念の凄さもリアルに描かれる。