柴咲コウが気の毒でならない…
大河ドラマ『直虎』つまらなさの研究
月9ドラマを見ているよう
「悪いのは私ではないか」――謀反の罪をかけられた友に向け、涙ながらに語る姿に視聴者は心打たれた。……別の意味で。違う、このドラマが全く面白くないのは、柴咲コウのせいじゃないんだ。
代表作となるはずが
「柴咲さんは良い演技をなさっている。けれど、そもそもの題材選びが悪かった、というほかありません……」(上智大学文学部新聞学科教授・碓井広義氏)
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の視聴率の低下が危ぶまれている。初回視聴率は16.9%と今世紀ワースト2位を記録し、第11話(3月19日放送)の視聴率も13.7%と、低空飛行を続けている。
主人公の井伊直虎を演じるのは柴咲コウ。数々の映画・ドラマに主演してきたが、意外にも本作がNHKドラマ初出演である。彼女の代表作となるはずが、なぜここまで苦戦を強いられているのか。
本作のモデルとなった井伊直虎は、戦国時代、遠江の小領主・井伊直盛(杉本哲太)の一人娘として誕生。だが隣国の大大名・今川義元(春風亭昇太)との複雑な外交のあおりを受けて幼くして出家、次郎法師と名乗る。
その後、井伊家の家督を継ぐべき男らが次々と命を落とし、女性でありながら井伊家の当主となった数奇な人物である。
冒頭の碓井氏は続ける。
「主人公が女性だと、時代劇では立場上主軸になれないんです。歴代の大河ドラマでも、『八重の桜』は新島襄の妻、『花燃ゆ』は吉田松陰の妹、といった肩書になるように、どうしても脇役に甘んじてしまう。今回の直虎も同様で、井伊家と、そして後に『徳川四天王』の一人となる井伊直政を陰ながら支える存在、という位置づけでは、大河ドラマを1年間引っ張るには弱すぎるでしょう」
また、直虎の治める井伊家自体も、高名なのは幕末「桜田門外の変」の大老・井伊直弼で、戦国時代の井伊直政となると認知度が低い。
歴史家で作家の加来耕三氏は言う。
「大河ドラマが成功する法則は、主人公の名前から同時代の人間を5人挙げることができるかどうか、と私は考えています。『直虎』でいえば、当初出て来た人物のうち、一般に知られた名は今川義元ぐらいでしょう。それもドラマの中ではすぐに死んでしまいました。そもそも直虎は生年が不明確で、本当に女性だったのか疑問視する声もあります。そんな曖昧な人物を主人公に持ってきても、視聴者は感情移入ができない。物語ではよく知られた歴史上の人物も登場するので、見ていてどこまでがフィクションなのかと混乱してしまいます。架空の時代劇なら話は別ですが、大河ドラマは作り話をすればするほど、足を掬われてしまう、と危惧しています」
時代劇というよりラブコメ
実際に、柴咲を物語の中心に持っていくのは非常に厳しいようだ。
第8話「赤ちゃんはまだか」では、出家前の許嫁だった井伊直親(三浦春馬)・しの(貫地谷しほり)夫婦の子宝祈願に直虎が奔走するだけに丸々一話を費やした。
また、クールなキャラクターが持ち味とされてきた柴咲だが、『直虎』では感情の赴くままに動く幼い感じの演技が顕著となっている。
ドラマ評論家の成馬零一氏は言う。
「柴咲さんは、直虎の子役時代のテンションや性格を忠実に引き継いで演じていますね。ストーリーがラブコメ風なので、キャラクターも漫画の登場人物のような言動が多く、無理をして演じているように感じます。ただ、『篤姫』もはじめはあんみつ姫のようで戸惑いましたが、江戸城に入ってからは政治的成長を見せ、物語もグンと面白くなった。一方で『江』のように最後の最後まで幼く、視聴者が付いていけない主人公になってしまうこともあります。直虎は井伊家の当主になるという転機で、もう少し大人びてほしいところですね」
テレビライターの桧山珠美氏も同意する。
「ホームドラマ大河、といった印象です。時代劇というより、月9のドラマを見ているよう。ほかにも、直虎を巡る、幼なじみの直親と小野政次(高橋一生)のどろどろとした三角関係や、直親が直虎を後ろから抱きしめる描写など、女性受けを狙った演出が満載。往年の大河ファンには、どうしても物語が軽く感じられます。これには、今まで大河を見ていなかった層を取り込もうというNHKの狙いがあります。知名度の低い直虎ですが、実は『戦国BASARA』シリーズなどのゲーム界では、大人気の美少女キャラクターだったので、そのファンを狙ったのでしょう。しかし、今時の若者や恋愛ドラマ好きの女性に向けて試行錯誤した結果、昔から大河を観ている人がどんどん離れてしまうのでは、本末転倒ではないでしょうか」
そんななか大河ファンが「見続けるか、止めるか」の試金石としたのが第9話の「桶狭間に死す」だった。海道一の弓取りといわれた今川義元の上洛軍を、まだ尾張の一大名にすぎなかった織田信長が奇襲、首級を挙げた戦だ。
この有名な「桶狭間の戦い」で直虎の父・井伊直盛が討ち死にしていることもあって、信長と義元、直盛らの死闘が見られるはずだと、期待が高まったが――。
海老蔵はどうした?
「前半の一番の見せ所ではと期待していたのですが、たった一話、それも冒頭の10分ほどで終わってしまった。今川義元はナレ死(登場人物の死亡シーンが描かれることなく、ナレーションで死亡したと語られること)で唖然としました……。事前に織田信長役と発表されていた市川海老蔵の出番もなく、肩透かしでしたね。『真田丸』で関ヶ原の戦いが40秒で終わった際も物議を醸しましたが、あれは真田家が参戦していないものは描かないという脚本家・三谷幸喜さんの意図が説明されていた。けれども今回の描写で、NHKはもう大河ドラマにかけるおカネがない、もう昔のようなダイナミックな合戦シーンは見られないんだと認識しましたね」(桧山氏)
主役・直虎が出陣することはもちろんなく、父親をはじめ、落命した井伊家の者のために、経文を唱えるのみだった。
「柴咲さんの出番が少ない、活躍しない、という不満が出るのは当然でしょう。実際に、直虎は僧だったのですから、大っぴらに動くことはできません。無理に歴史に関わらせようとしない方針から、お家騒動のちまちました話ばかりになっている」(碓井氏)
一方、柴咲には気の毒だが、直虎は目立たないままでいい、という意見もある。
「不評だった『花燃ゆ』は、著名でない主人公にもかかわらず、どんどん史実に絡んでいったために、話がおかしくなりました。今回は高橋一生の演じる小野政次を主役だと思って、直虎はいてもいなくてもいい、という姿勢で観るといっそ気が楽かもしれません。たとえば織田信長を主役にすると嘘は描けませんが、直虎は歴史的資料がほとんど残っていないため、性格描写も自由ですし、歴史的事件に関わらない限りは作り手の思うままに動かすことができる。ファンタジーのヒロインと思えば楽しめるのではないでしょうか」(桧山氏)
皮肉なことに柴咲コウ=直虎に注目しなければ、『直虎』は意外と面白いのではないか……。話が進むにつれ、そんな声が多くなっている。
「龍潭寺の僧侶で、直虎の兄弟子の傑山を市原隼人が演じるなど、思わぬところにイケメンがいる」(成馬氏)
「徳川家康役の阿部サダヲと正妻・築山殿役の菜々緒の凸凹夫婦のやり取りが面白い。『真田丸』で内野聖陽が演じた家康像とは、また異なる味のタヌキっぷりですね。大河ドラマ好きとしては、そうした支流で良い所を見つけて、自分を慰めながら観ています(笑)」(碓井氏)
阿部サダヲは家康を13歳から子役なしで演じたことも話題となった。
第11話「さらば愛しき人よ」では歴史に残る「徳川家康の人質交換劇」を披露。今川を裏切った粛清として処刑されそうになる築山殿と、彼女を救おうと取りすがる直虎の元に、颯爽と使者が駆け付ける爽快さはドラマ屈指の名場面だ。と同時に、直虎の〝役に立たなさ〟が浮き彫りになったシーンでもあった。
だんだん面白くなる、かも
コラムニストのペリー荻野氏は、井伊家の「小粒感」が見所だという。
「真田家のように大きな敵を前にして敵対心を剥きだしにするタイプではなく、なんとか円満にやっていこうと、戦う意思がないように感じます。戦う気満々なのは曾祖父の直平(前田吟)くらい(笑)。はじめから負け組だからこそ、これからどういうふうに世渡りをしていくのかな、と。負けている側って、つい応援したくなりますから。また、どん底からの女たちの頑張りにも期待しています。歴史上悪とと言われていた築山殿と直虎が友人だったという設定は、斬新でしたね。直親が亡くなってからは、彼の妻・しのが母性を発揮し、忘れ形見の直政を巡り直虎と子育て論を戦わせていくはずです」
前述の「桶狭間の戦い」で織田信長役の市川海老蔵が登場しなかったことから、逆に期待が高まった、そう話すのは歴史コラムニストの上永哲矢氏だ。
「何度も大河で描かれてきた戦国時代ですが、王道を期待していると意図的に裏切られる演出が新鮮です。今川義元の戦死を描かない一方で、徳川家康の岡崎城帰還にスポットが当てられました。
いつ信長が出て来るのか、武田信玄や豊臣秀吉は登場するのか。キャストがまだ全ては明かされていないから、展開を予測できない楽しさがあります」
いまのところ「つまらない」と言われても仕方がない『直虎』だが、放送開始から3ヵ月。まだまだ挽回の余地はある。前出の成馬氏は言う。
「脚本の森下佳子さんは、『JIN-仁-』や『ごちそうさん』を手がけた構成力に定評のある方です。本来は、どっしりとした時代劇を描く人が、あえて少女漫画風に作り込んでいるのは、必ず狙いがあるはず。また、幼少期から主人公をしっかり描き、周辺の関係を徐々に積み重ねていく手法が多いので、『ああ、ここでこう繋がるのか』と、ある時から急激に面白くなるのでは、と踏んでいます」
ブレイクするその日まで、柴咲と視聴者の忍耐は続く――。
(週刊現代 2017年4月8日号)