「週刊新潮」に、以下の書評を寄稿しました。
没後10年 阿久悠の「歌詞」を謎とく
吉田悦志 『阿久悠 詞と人生 』
明治大学出版会 2160円
今年、没後10年を迎える作詞家の阿久悠。都はるみ『北の宿から』、八代亜紀『舟唄』、そしてピンク・レディーの『UFO』など、ヒット曲は数えきれない。
6年前、故人が遺した資料が母校に寄贈され、「明治大学 阿久悠記念館」が出来た。本書は日本文学が専門の明大教授による力作評伝である。
「小説を読むのは、どこか謎とき的な要素があるものだ」と言ったのは、『謎とき 村上春樹』(光文社新書)などの著者・石原千秋だ。本書を読むと、優れた「歌詞」もまた謎ときに値することがよくわかる。
阿久悠を読み解く第一の鍵が、戦中戦後を淡路島で駐在所の巡査として過ごした「父」の存在だ。著者は、「自ら律することに頑固とも思える律儀さを抱えて生きた」阿久悠の原型をこの父に見る。阿久悠の詞がそなえる独特の「品」もまた、父につながるものだった。
次の鍵は「女性」への眼差しである。阿久悠は、それまで「女」として描かれてきた流行歌を、「女性」に書き換えようとした。『津軽海峡・冬景色』のヒロインは竜飛岬を見つめるが、泣き崩れてはいない。「私は帰ります」は決意表明でもある。「どうせ」や「しょせん」という言葉を使わない女性像の創出だった。
そして、謎ときの第三の鍵として「文学」を挙げる。阿久悠は作品の中に、映画、テレビ、書籍、写真などから得たものを巧みに取り込んだが、著者はその最たるものが文学だと指摘。たとえば大橋純子が歌った『たそがれマイ・ラブ』では森鴎外『舞姫』の内容が、『津軽海峡・冬景色』には『古今和歌集』の手法が生かされているというのだ。
しかし、阿久悠は作詞作品を「文学」だと考えていたわけではない。それは「商品」だった。「詞」と「詩」を厳密に分けていたのだ。そこにあるのは阿久悠ならではのダンディズムであり、矜持であり、強烈なプロフェッショナリズムだった。
(週刊新潮 2017.04.20号)