倉本聰 ドラマへの遺言
第8回
役者と真剣勝負
「俺が正しいのか、おまえが正しいのか」
碓井 倉本先生はドラマの撮影が始まる前、役者たちが集まって行われるホン読み(台本の読み合わせ)にも立ち会う、“唯一無二の脚本家”として知られています。
倉本 ハハハ。「前略おふくろ様」(日本テレビ系、75年)では細かく立ち会っていましたから、直接役者に説明できてたんですね。それでも大河「勝海舟」(NHK、74年)以降は、演出家や監督に口出しをするとうまくいかないっていう気配があって。いまでは大御所みたいに見られて、皆、僕には逆らわないんですよね。逆らわないから分かったのかなと思うと全く理解していない。伝わっていないんです。
碓井 その点、「やすらぎの郷」には倉本作品への出演歴のある俳優さんがたくさん出ていらしたから、かなり安心だったんじゃないですか。
倉本 僕のことを分かっている人たちは的確に演じてくれますからね。
碓井 「勝海舟」の話が出ましたが、先生がホン読みに出席しなくなったのはいつ頃からですか。僕がスタッフとして参加した笠智衆主演の「波の盆」(日本テレビ系、83年)では来てくださいましたよね。
倉本 「波の盆」の時は制作サイドから「立ち会ってください」と言われたので、気持ちよく出られましたよね。でも、普通は「立ち会ってもいいですよ」なんて受け身に言われちゃう。出づらいですよね。
碓井 そもそもホン読みに立ち会うのはなぜですか。
倉本 シナリオっていうのは「寝てる」ものなんですよね。それを役者が「立ち上げ」てくれる。その立ち方が違うっていうのはストーリーを作った者だからこそ的確に指摘できる。それが、トンでもない立ち方をされても、現場にいないから分からないわけですね。それで僕はある時、若い俳優さんに「一言一句変えないでくれ」ってつい言っちゃったんですね。それが過大に広がっちゃって定説になってしまった。
碓井 業界内では、役者も演出家も「倉本脚本は一言一句変えてはならない」という不文律みたいになっています。
倉本 ええ。語尾を勝手に変えられてしまうと人格が変わってしまうんですよ。たとえば、高倉健さんに関するインタビューを僕が受けた際、「健さんはすてきな人ですよ。シャイなんだけれども、なんとかなんじゃないでしょうか」っていう答え方をしたとするでしょう。すると新聞記者が「高倉健はすてきな人だ。シャイだがなんとかだ」と断定的な言い切りで記事にしてしまうと、読者にはあたかも僕が上から目線で傲慢な言い方をしたように見えるわけです。会話ってのはそういうもの。シナリオは必要最低限の情報を伝える新聞記事とは違います。何の脈絡もなく語尾を変えるのはいい加減にして欲しいとその若い役者さんに言ったつもりだったんですが。
碓井 彼は「何だよ、たかが語尾なのに」と思ったんでしょうね。
倉本 誤解していただきたくないのは、若いからダメ、ではない。ニノ(05年「優しい時間」に出演した二宮和也)なんかには自由に変えてくれって言ってますしね。ただし、俺のホン以上に変えてくれとは付け加えます。俺が正しいのか、おまえが正しいのか、勝負しているわけですから。(あすにつづく)
(聞き手・碓井広義)
▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。
▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。