倉本聰 ドラマへの遺言
第14回
八千草薫から電話
「私のおならの音、分かりません?」
碓井 浅丘ルリ子さんが先生と一緒に仕事されたのは、「2丁目3番地」(71年、日本テレビ系)が最初だったんですね。当時、石坂浩二さんとの初共演が話題となりました。
倉本 当時のルリ子は小林旭のような力強い男のほうがタイプだったから、兵吉(石坂の本名)みたいにナヨナヨしたのは嫌だったんじゃないですか。でも、兵吉がルリ子に告白した時も僕はその場にいましてね、よく覚えているんですが。打ち上げの熱海の大野屋っていう旅館で兵吉は泣いちゃったんですよ。泣き口説きで「離れるのが寂しい」って。僕はその脇にいて、森みっちゃん(光子)の上に馬乗りになって腰を揉んでましたよ。で、ルリちゃんが「兵ちゃんかわいそう~」って抱きしめたんですね。僕は知らんぷりして腰を揉んでいたっていう。
碓井 歴史的瞬間ですねえ。
倉本 家族みたいなものですね。役者の世界とライターの世界は違う。演出家と役者の関係は近くても、ライターと役者の間には距離がある。「2丁目3番地」の時は制作側の方からもお願いされてホン読みに参加したと思うんですけれど、ライターは基本、孤独の作業。現場にあんまり顔も出さないわけですが、俳優さんとは深く付き合うようにしていた。その人の性格を掴んでからじゃないと書かないっていうのを鉄則にしていたんですね。
碓井 それはまた大変なことだ。
倉本 八千草(薫)さんは1年半、付き合いました。一番長かったのは、若尾(文子)ちゃんかなあ。女優さんって鎧をつけてるんですよ。その鎧を外さないと欠点が見えない。欠点を書いてあげないと個性にならない。長所が見えたところでなんにもならない。恋愛って普通、長所を見ちゃうじゃないですか。だから、わりと破綻するでしょう。それと似たようなもので、欠点から入って書くといい。
碓井 マイナス面が見えないと、人物像として立ちあがってこないってわけですね。
倉本 口のデカい女優さんがね、それを欠点だと思っていると、隠そうとして口が小さく見えるようメーキャップする。逆なんですよ。大きくしてやったほうが個性につながってくる。岸田今日子がひとつの例ですけれども。
碓井 目に見えるならまだしも、内なる欠点を見つけ出すのはかなり難しいかと。
倉本 ですからね、八千草さんの場合は、1年半かかった。マネジャーに聞いてもさっぱりなんだから。
碓井 八千草さんの倉本ドラマ初主演といえば、TBS系の東芝日曜劇場「おりょう」(71年、制作は中部日本放送)でしょうか。
倉本 あのときだって、本当は「あの人のおならの音が分からないと書けない」って一度断ったんです。ですが、そのあと、八千草さんから電話がかかってきて、「私のおならの音、分かりません?」って言われて、慌てちゃって。
碓井 それはまた凄い。
倉本 そうしたら、八千草さん、ふっとまじめな声になって「でしたら、新珠さんのおならの音も分かりませんでしょう?」って。僕はちょっとドキッとして。この人は、新珠三千代さんに対して嫉妬心を持っているんだっていうのが分かって、それからですね、書けたのは。(つづく)
(聞き手・碓井広義)
▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。現在は、来年4月から1年間放送されるテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆中。
▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。
日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3212