「週刊新潮」に、以下の書評を寄稿しました。
なぜあの事件は起きたのか
凄惨さに隠れた社会の危機
石井光太
『43回の殺意
~川崎中1男子生徒殺害事件の深層』
双葉社 1620円
2015年2月20日の朝、その遺体は発見された。全裸で血まみれの少年だった。場所は神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷だ。間もなく、被害者は中学1年生(当時13歳)の上村(うえむら)遼太君と判明した。
数日後に捕まった犯人は17歳から18歳の3人の少年だ。しかも遼太君の遊び仲間だった。彼らはカッターナイフで身体を何度も切りつけた上、裸で冷たい川の中に入らせた。さらに川から上がってきた遼太君を切り続け、最後は放置したのだ。死因は「出血性のショック」だった。
本書は、様々な出来事を細部まで見つめ直すことで、なぜこの凄惨な事件が起きたのかに迫るノンフィクションだ。著者は遺族を含む多くの人から話を聞きながら、この社会に日常的に横たわる危機を浮かび上がらせていく。
主犯格は日本人の父親とフィリピン人の母親を持つ少年だ。不登校児、下級生、アニメやゲームのオタクなどを集めてグループをつくり、その中心に君臨していた。強い不良たちから逃げ回る一方で、弱い相手には虚勢を張り、暴力をふるう。裁判では共感性の乏しさが指摘されたが、親との関係性にも問題があった。
また驚かされるのは2人の共犯少年のうちの1人だ。犯行現場でカッターを持ち出し、自身も遼太君を切っていた。にもかかわらず、裁判では「知らないっす」「やってない」などと言い出し、無罪を主張。もちろん最高裁は上告を棄却した。
それにしても、なぜ遼太君は彼らと親交を結び、たびたび暴行を受けながらも一緒にいたのか。著者の丁寧な取材によって見えてくるのは、彼もまた家庭や学校に自分の居場所がない少年だったことだ。被害者と加害者の双方が依存し合って形成していた「擬似家族」。
しかし、それは互いを理解しようとする意思がまったく見えない、悲しいほど空虚なコミュニティでもあった。事件の当事者たちが抱えていた闇は現代社会の闇につながっている。
(週刊新潮 2018年2月8日号)