東日本大震災から7年目の「3月11日」に
東日本大震災から7年。決して短い年月ではありませんが、被災した方々の物心両面の痛手は十分に癒えないまま、被災地以外での記憶の風化が著しいように思えます。
猪瀬直樹『救出~3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』(河出書房新社)の舞台は、地震と津波に襲われた当時の宮城県気仙沼市です。浸水して孤立した上、火の手が迫った公民館に、446人の被災者が取り残されました。そこには大人だけでなく、保育所の園児71人がいたのです。
震災の特徴の一つは、津波によって道路が寸断され、火のついたがれきが漂い、誰がどこへ逃げているか、連絡が取れないことです。公民館に集まった人たちも同様でした。家族の安否どころか、自分たちの存在と状況を外部に伝えることも難しい。また伝わっても必ず救助されるとは限らない。それほどの大災害でした。
著者は当事者たちへの丹念な取材を行い、この日、誰がどこで、どのように震災と遭遇し、公民館で何があったのかを浮き彫りにしていきます。緊急避難における行動は、いわば葛藤の連続となります。右か左か、どこへ逃げるのか、一瞬の判断が明暗を分けることもある。それは消防士も、町工場の社長も、幼い子供たちの命を預かる保育士たちも同様だったでしょう。
最終的に公民館の避難者たちは、翌日、東京消防庁のヘリによって救助されます。しかし、それまでの一昼夜、彼らは自身の不安を抑え、互いに声を掛け合い、知恵を出し合って助けを待ったのです。読後、「希望」という言葉が絵空事ではなく浮かんできました。
しかし、なぜ東京消防庁のヘリだったのか。そこには奇跡的ともいえる情報のリレーと、想像力をフルに働かせた人たちの的確な判断、そして迅速な対応がありました。当時、東京都の副知事だった著者もまた、大きく関与しています。
後に都知事を辞した際、著者は「政治家としてアマチュアだった」と述べました。本書は「ノンフィクション作家としてのプロ」が書いた、災害と生存をめぐる緊迫の記録であり、信じるべき個の力への讃歌だといえます。
(2018.03.11 シミルボンに寄稿)
シミルボン