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Channel: 碓井広義ブログ
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書評した本: 『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』

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週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。


常識が失われた時代に考えたい保守主義の本質
適菜 収
『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』
講談社+α新書 907円

かつて高校の国語教師をしていたことがある。教科書には小林秀雄の文章も載っていたが、教えるのに難渋した記憶ばかりで、作品名さえ覚えていない。もしも当時、適菜収『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』が出版されていたら随分助かったはずだ。

キーワードは「近代」である。何でも論理的、合理的、理性的に説明するのが近代の精神だ。一方、小林が扱ったのは、解釈によって切り捨てることができない「経験」であり、概念の背後にある世界だった。

たとえば近代においては個性や独自性が尊ばれる。しかし小林はモーツァルトを「訓練と模倣とを教養の根幹とする演奏家」と呼び、ものまねを極めることから独創が生まれるとした。教育についても、「自由と教育とは矛盾した言葉」であり、教育とは「厳格な訓練」だと言い切っている。

さらに興味深いのは「保守」と政治についてだ。著者によれば、「小林は本質的な保守主義者」だった。保守主義とは、「常識」が失われた時代に「常識」を取り戻そうとする動きだ。

そして保守主義の本質は人間理性に対する懐疑であり、保守主義者は自身の判断さえ確信することはない。自らが信じる道を「断固として突き進む」と繰り返す政治家など、実は保守の対極にいることがわかる。

小林がヒトラーについて書いた、「本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている」という言葉がリアリティをもって甦ってきた。

(週刊新潮 2018年11月29日号)


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