巨匠の「ドラマ渡世」をぜんぶ聞く
倉本聰・碓井広義『ドラマへの遺言』
脚本家・倉本聰は言わずと知れたドラマ界の巨匠である。80歳を越えてから書いた、久々の連ドラ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)が話題を呼んだことは記憶に新しいが、『北の国から』(フジテレビ系)や『前略おふくろ様』(日本テレビ系)といった、後々まで語られる作品を数多く手がけてきた。
しかも、『北の国から』シリーズでは約20年間も視聴者と時代を共有し、『やすらぎの郷』では平日の昼間に「帯ドラマ劇場」という新たな価値を創出するなど、常にドラマの常識を覆してきた。
その一方で、自身の信念に従って大河ドラマでさえも降板し、キャスティングにも積極的に関わっていく。また役者が読む台本の一字一句にもこだわるという”伝説”を持つ。歯に衣着せず物を言い、テレビ局上層部にも遠慮はしない頑固者だ。こんな脚本家、他にはいない。
そんな倉本を、私は“師匠”と仰いでいる。普段は“倉本先生”と呼んでいるが、ここはぐっとこらえて敬称は略す。
私は現在、大学の教壇に立っているが、元々は20年にわたってテレビ界にいた。テレビマンユニオンでプロデューサー修業をしていた36年前、スペシャルドラマ『波の盆』(日本テレビ系)の制作現場で倉本聰に出会った。主演は笠智衆、監督が実相寺昭雄。明治期にハワイへと渡った、日系移民一世の波乱の人生を描いたこの作品は、1983年の芸術祭大賞を受賞した。
鮮やかな作劇術と心に沁みるセリフの数々。何より、若僧である私にも理想とするドラマ像を伝授しようとする熱意やその人柄に惚れ込んだ。
『ドラマへの遺言』は、さまざまな風評に彩られた師匠に、不肖の弟子が過去と現在の一切合切について聞き取りを行った一冊である。テーマは“遺言”。倉本が80代にさしかかった頃から、師匠の無尽蔵の創造力に感嘆する一方で、突然目の前からいなくなってしまうことへの脅えを感じるようになった。そこで師匠に、仕事と人生のあらいざらいを活字として公開することを提案したのだ。
富良野や東京でのロングインタビューは9回、のべ30時間に及んだ。84年前の東京に生まれた山谷馨(やまやかおる)はいかにして脚本家・倉本聰になったのかに始まり、デビュー作から最新作『やすらぎの刻(とき)~道』まで、「創作の秘密」60年分をぜんぶ聞いている。
企画の発想。人物像の造形。物語の構築。さらに大物俳優や女優たちとの知られざる交遊も。倉本は何度も「ここだけの話だけどね」と声を潜めたが、もちろん丸ごと書かせてもらった。
本書は脚本家としての「総括」というだけでなく、同時代を一緒に歩んだ人々、そして次代を生きる人たちに送る、人間・倉本聰からの「ラストメッセージ」でもある。一人でも多くの皆さんの心に届くことを祈るばかりだ。
(新潮社「波」 2019年3月号)
ドラマへの遺言 (新潮新書)倉本聰、碓井広義新潮社