脚本家・倉本聰に聞いた、
『やすらぎの刻(とき)~道』の原点
2017年に話題となった、帯ドラマ劇場『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。その続編にあたる、『やすらぎの刻(とき)~道』がスタートしました。
これから1年にわたって放送されるこのドラマについて、脚本家の倉本聰さんから直接、話を聞きました。(以下、敬称略)
単なる続編ではない
この新作は、老人ホーム「やすらぎの郷」に暮らす人たちの現在が描かれるだけではない。筆を折っていた脚本家・菊村栄(石坂浩二)が発表のあてもないまま執筆していく”新作”も映像化していくという野心的な企てだ。
倉本はこれを、菊村の「脳内ドラマ」と呼んでいる。舞台は山梨の山村。昭和から平成までを生きた無名の夫婦の歩みが軸となる。
「書き上げたのは18年の11月1日ですね。今回は1年間の放送なので全235話になりました。現在の話を『刻』、脳内ドラマを『道』だとすれば、ドラマ2本を同時に書いたようなものです」
以前、『やすらぎの郷』の放送が終わった直後にインタビューした際、倉本は「やすらぎロス」を口にし、連続ドラマはこれが最後だろうと言っていた。それが、なぜスケールアップした1年間の作品を書くことになったのだろう。
「終わってから、しばらくして、早河さん(テレビ朝日・早河洋会長)がお疲れさまの会をしてくれたんですよ。その席でいきなり出たんじゃなかったかな。2019年がテレ朝の60周年に当たる。そこで18年は「帯ドラマ劇場」という枠を1年間休んで、19年に満を持して年間通したものを作りたいって。
1年となると、自分が生きてるかっていうのがまずあって、さすがにちょっと考えさせてくださいって言いました。ただ即答は避けたんだけどシナハン(シナリオハンティング)には行ったんです。やっぱり、ある程度できる見通しが立たないと返事ってできないんですよね。できるという見通し、自信がついてから受けますっていう話をしないと。それには一応、ホン(脚本)を作るっていう作業にかかるんですよ、いつも」
山梨でのシナリオハンティング
すぐにシナハンに出かけたということは、この時、倉本の中にはすでに基本構想があったのか。
「この脳内ドラマの方は僕の『屋根』っていう舞台がベースです。あの芝居では明治生まれの夫婦に大正・昭和・平成という時代を生きた無名の人たちの歴史を重ねていったんですが、いわばその応用編ですね。
シナハンでは山梨に行きました。あそこには満蒙開拓団とか養蚕業とか、戦前からの日本を象徴するような歴史や文化がありますから。それと『屋根』を結びつける作業は可能だろうかって、見極めようとしたんです。で、ロケハンに行ってノートを取ったり、人物像を構築してみたりしてるうちに、うん、できるかもっていうふうに思ったのが2~3カ月たってから。それでやりますっていう話になったんですね」
山梨は東京から100キロあまりだ。大人数のキャストやスタッフが移動するドラマ作りを思うと、ロケ地としても格好の場所かもしれない。
「戦後ですけど、小淵沢に近い甲斐大泉っていうとこの開拓村に、満蒙開拓団から戻ってきた人たちがパラパラと入植したんです。何もない、粗い野原でしたが、僕は学生の頃、夏休み中のボランティアでその開拓村に行ってたことがあるんです。
当時は何にもなかったですね。村の中に大きな木が1本あって、その木にびっちり蛾がついているような状況で。自分も貧しい農家さんに泊まって、ひと夏働いた。そのときに見た、八ヶ岳を背景にした荒涼たる景色が僕の中にあったんですよ」
復興から経済成長という戦後の流れの中で消えていってしまったが、当時、そうした景色は山梨に限らず全国にあったはずだ。
「そうですね。子供の頃に遊んで帰った、田舎の泥んこの一本道がある。やがて舗装されると人々が町へと出ていく。故郷は過疎になり、道にはペンペン草が生えてくる。それが登場人物たちの原風景なんです。そこに帰っていきたいっていう老夫婦を書きたいんですよ。
でも、都会の若い人たちには原風景ってないでしょう? 高層マンションで生まれて、土や草がないアスファルトの上で育って。ちょっとかわいそうだなって思う。
以前、赤坂プリンスホテルが大改修工事で地面を掘ってたんです。柵越しにその穴をのぞいたらアスファルトの下は赤土。関東ローム層です。ぞくっとしましたね。むかし、泥んこ遊びをした土がそこにあった。土がないわけじゃなくて、土の上を覆っちゃったんです。
あれが原風景になるのかっていうのはありますよね。原風景がないから、自然を壊しちゃうことも平気だったりする。
自分が帰っていく場所。その象徴としての一本の道。今度のドラマでそんなものを描(えが)きたいんです」
日本人の原風景
キーワードは「原風景」だ。
「いわば日本人の原風景ですよね。僕には僕の原風景があるわけだけど、山梨辺りだと割と歴史のあるところでしょ? だから藁葺きの屋根なんかも残っていたし、昔からの道もあった。
で、その原風景の中に、最後に老人たちが死にかけたときに再び入っていくっていうイメージです。柳田国男の『遠野物語』の中に「デンデラ野」っていうのが出てくるんですね。要するに、60歳を過ぎたらデンデラ野という山の中の村へみんな自発的に入っていく、姥捨てみたいな伝説が。
一方、山梨は深沢七郎の『楢山節考』があったりして、そのあたりの結びつきができてくるんじゃないかっていうのが発想の1つのポイントでしたね」(倉本聰・碓井広義『ドラマへの遺言』新潮社より)
ドラマへの遺言 (新潮新書) 倉本聰、碓井広義 新潮社