「いだてん」大河ワースト確定でクドカンピンチ、
過去大河で脚本家途中降板は1回のみ
5月9日の定例会見で「視聴率は気にしていない」と言いつつも、「(視聴率アップの)特効薬的なものがあったら、逆にお聞きしたい」と弱音も吐いたのは、NHKの上田良一会長である。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(NHK)が4月28日の放送の第16話で、大河史上最低の視聴率7.1%(ビデオリサーチ調べ:関東地区、以下同じ)を記録したのを受けての発言だった。
初回15.5%でスタートした「いだてん」だが、第6話以降は一桁が続いている。このままでは歴代大河でのワースト作品となることは確定だ。
民放プロデューサーはあきれ顔で言う。
「視聴率が上がらないのは、いろいろと理由はありますよ。NHKとしては、裏番組の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)や『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)が人気で客を取られた。さらに最低を記録した4月28日はGWに入ったから……なんて言い訳もできるでしょうけどね。でも、もう視聴者は『いだてん』から完全に離れています。それは数字が証明しています」
それは最低記録を出したことではないという。
「ワーストを記録した28日、『いだてん』の前枠『ダーウィンが来た!~生きもの新伝説~』の視聴率は10.4%、『いだてん』直後に放送される15分間のニュースは8.7%も取っています。つまり『いだてん』が始まると視聴者は他局へ逃げ、終わったとたんに戻ってきているわけです。明らかに『いだてん』は避けられています」(同)
NHKにとっては最悪の流れである。
「これまでも近現代をテーマにした大河は当たっていないこと。モデルとなった2人の主人公の知名度が低く、しかもその2人がリレーで主役を務めること。初回から明治に行ったり昭和に来たり、時代がころころと変わるので着いていけない視聴者が多かったこと。ナレーション(同番組では「噺」とクレジット)を務めるビートたけしさんの滑舌が悪くて聞きづらいこと……低視聴率の理由はいろいろ語られてきました。しかし、ここまで如実に視聴者が離れてしまっては、NHK会長の言う特効薬などありえません。6月からは“美人女優”の大量投入を謳って、黒島結菜や菅原小春、夏帆、上白石萌歌など、男性では斎藤工や林遣都、三浦貴大、トータス松本などの追加を発表しましたが、今一つ地味ですから、大した視聴率アップには繋がらないでしょう。民放のドラマであれば、打ち切りも視野に入ってくるところです」(同)
さすがに大河で打ち切りはないはずだが……。
■脚本家に手を入れる?
「それゆえNHK会長は『視聴者のいろんな声も参考に、どうやったら分かりやすく伝えられるか頑張って作っているところです』と、軌道修正をにおわせたそうです。そうはいっても、脚本はNHKが三顧の礼をもって迎えたクドカン(宮藤官九郎)ですよ。展開が早いのは彼の持ち味ですし、NHKが今さら文句を言える筋合いではないはずです。ただし、歴代ワースト1位の大河『花燃ゆ』(平均視聴率12.0%:同率ワースト1位に『平清盛』)の時には、あまりの不人気ぶりに、放送が進むごとに脚本家がドンドン増えていくということもあった。さらに、脚本家を降ろしたこともあります。1974年の『勝海舟』です。放送がスタートして早々、主演の渡哲也さんが体調を崩して降板、代役に松方弘樹さんを立てるというドタバタの大河でしたが、脚本の倉本聰さんが台本の読み合わせにも参加することに、NHKのスタッフが、やり過ぎだと反発。さらにディレクターが勝手に彼の脚本を書き換えたことで、倉本さんも激怒。とどめに、週刊誌の倉本さんへのインタビュー記事が、告発記事のような形で出たものだから、スタッフからつるし上げられ辞めざるを得なくなったんです」(同)
これについては、倉本氏と碓井広義氏の共著「ドラマへの遺言」(新潮新書)に詳しい。
〈決定打は女性週刊誌のインタビュー記事だ。「大河脚本家がNHK批判」と報じられ、記事を読んだスタッフから総攻撃を受ける。倉本はその足で羽田から札幌に飛んでしまった。
「1974年の6月ですね。記事が載った週刊誌『ヤングレディ』の発売日だったからよく覚えています(中略)。僕はまだ『勝海舟』をやめる気はなくて、札幌から台本を送ろうと思っていたんですよ。ただホン読みにはもう出ないと伝えました。それから僕がどこにいるかも教えないと。FAXのない時代で、東京にいるカミさんに生原稿を送って。事務所はなかったし、秘書もいなかったから。でも今度はその届け方が気に入らないわけですよ」
世間では、大河を降りて北海道へ飛んだという話になっている。
「あ、そうですかね。あの後、2カ月くらいは書いていた(後略)」
では、その時点では降りていなかったことになる。
「降りてないです」
正式に「俺は降りるよ」とNHKに言ったわけではなかった。貴重な証言だ。
「でもね、NHKがもう代役の作家を立ててるって話は聞きました。誰だっけな。僕、名前覚えてないんだけど」
代役となったのは中沢昭二という脚本家だった。札幌に来てからも『勝海舟』を書いていたにもかかわらず、倉本は引導を渡されたかたちだ。
「というか、病気しちゃうんです。肺炎を起こして東京の病院に入院ですよ。札幌じゃ、ひとりで飲み歩いてたからなあ。結局NHKからは、病気降板という形で大河を降りたことにしましょうという話がありました。制作側と喧嘩したのが6月ですよね。でもそのあと9月くらいまでは書いていたんです」〉
大河を降板した倉本氏だが、「勝海舟」が放送中の10月にスタートする「6羽のカモメ」(フジテレビ系)で早くも復帰。ただし、NHKが発表した“病気降板”を気遣い、別のペンネームを使ったという。
クドカンが病気降板というわけにはいくまい。早くも万事休すということか。どうする、NHK!
週刊新潮WEB取材班
(デイリー新潮 2019年5月12日)
ドラマへの遺言 (新潮新書) 倉本聰、碓井広義 新潮社