週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。
忠実に再構築された「手塚・トキワ荘神話」 中川右介『手塚治虫とトキワ荘』 集英社 2052円
かつて東京の豊島区に、「トキワ荘」というアパートがあった。そこには“マンガの神様”手塚治虫が住んでおり、全国から彼を敬愛する若者たちが集まってきた。師の薫陶を受け、切磋琢磨を続けた彼らは、やがて有名漫画家へと成長していった、と勝手に思い込んでいた。だが、事実はそう単純ではなかったのだ。
実際には、手塚がトキワ荘に住んでいた時期に、藤子不二雄(藤本弘と安孫子素雄)も石森章太郎も赤塚不二夫もいなかった。また、「トキワ荘グループ」と呼ばれる彼らの代表作『オバケのQ太郎』も『サイボーグ009』も『おそ松くん』も、このアパートで描かれたわけではない。本書は可能な限り事実関係を明らかにし、「手塚・トキワ荘神話」を再構築する試みである。
検証は昭和20年から始まる。手塚は大阪帝国大学の学生で、部屋には『ロストワールド』など三千枚近い漫画があった。藤本と安孫子は富山県の小学6年生。宮城県生まれの石森は小学2年生だ。そして小学4年生の赤塚は満州で敗戦を迎えた。
本書では、その後の約16年間が編年体で語られる。手塚の快進撃はもちろん、若き漫画家たちのデビューから世に知られるまでの過程が実に興味深い。たとえば天性の漫画家といえる石森が、自分の進路にかなり迷っていたことを初めて知った。
また、手塚の功績の一つに分業制の導入がある。アシスタントを活用したプロダクションシステムこそ「手塚治虫最大の発明」だと著者は言う。トキワ荘の漫画家たちは互いに助け合うのが日常だったため、自然にこのシステムを取り入れることが出来たのだ。
さらに著者の力点は戦後の出版史と雑誌文化の変遷にも置かれている。中でも、小学館「少年サンデー」と講談社「少年マガジン」の攻防戦は熾烈だった。気鋭の出版人たちと才能あふれる漫画家たちが、二人三脚で新たな文化を創っていく様子も本書の大きな読みどころだ。
(週刊新潮 2019年6月20日早苗月増大号)