週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。
脚本家の倉本聰さんから聞いた話だ。バブル期の札幌すすきので、よく不審火があったという。焼け跡から見つかるのがネズミの死体だ。何者かがネズミの体に灯油をかけて火をつけ、建物の中に放つ。すると火の回りが早かったらしい。消火が間に合わないことを狙った、地上げ屋の仕業だと噂されたそうだ。
地上げ、住専(住宅金融専門会社)、バブル崩壊、不良債権。中島みゆきの歌ではないが、「そんな時代もあったね」の感が強い。狂乱経済の後始末など、とっくに終わったものと思われている。しかし、泥沼の「20年戦争」は続いていた。
バブルがはじけたことで、住専7社は6兆4千億円もの損失を抱え込んだ。いずれも母体である大手の銀行や証券会社などが躊躇する、危うい案件にまで巨額融資を行っていた。やがて回収不能となる貸し付けの相手は何者で、金を何に使ったのか。そもそも常識外れな融資はなぜ行われたのか。そして整理回収機構の「トッカイ(特別回収部)」は、どのような取り組みをしてきたのか。そんな疑問に答えたのが本書である。
面白いのは、読み進めるうちに、“悪役”であるはずの「バブルの怪人」たちへの興味が増していくことだ。たとえば借入残高が一時、1兆円を超えていた末野興産グループの末野謙一は、「銀行や住専も競争なんやな。バブルは貸す競争やぞ」とうそぶく。また京都の「怪商」と呼ばれた西山正彦は、神社仏閣の売買という奇策で肥え太っていく。
トッカイには、バブル崩壊のあおりで破綻した金融機関から送り込まれたメンバーが多い。かつての借り主から、何とかして取り立てようとする皮肉な立場だ。著者は彼らを将棋の「奪(と)り駒」に見立てている。終わりのない過酷な戦いと、悲哀と矜持が交錯する複雑な心情。けっしてスポットを浴びることのなかった彼らだが、一つの時代を陰で支えた、見えざるヒーローだったのだ。
(週刊新潮 2019年7月18日号)