番組サイトより
話題作『サ道』に至る、
テレ東「深夜ドキュメンタリードラマ」の系譜
ドラマ『サ道』とは何なのか?
テレビ東京の「ドラマ25」(金曜深夜0時52分)で放送中の『サ道』。これ、「さどう」と読むのだが、もちろん「茶道(さどう)」ではない。サ道の「サ」は、「サウナ」のサだ。
茶道・華道などの「芸道」や、柔道・剣道といった「武道」と同様、サウナもまた極めていけば「道」になる。単なる所作の体得や技術の習得ではなく、精神修養の場とさえ化すのだ。
しかも、「サウナー」と呼ばれるサウナ好きを超えたサウナの達人、「プロサウナー」なる人たちが存在するらしい。『サ道』は、彼らが偏愛する“実在のサウナ”と、その“楽しみ方”を教えてくれるドラマなのである。
実は、「実在の場所」という点がキモで、ドラマの形はとっているものの、ストーリーよりも、この「実在の場所」をいかに見せるか、その魅力をどう伝えるかに最大のポイントがある。
つまり、『サ道』は単なるドラマではなく、「ドキュメンタリードラマ」と呼びたい作品なのだ。そして、テレ東の深夜枠における、この「手法」が際立つようになったのは、『孤独のグルメ』からだと言っていいだろう。
画期的な「発明品」としての『孤独のグルメ』
今年の10月、『孤独のグルメ』シーズン8の放送が控えている。一口に第8弾と言うが、シリーズ化は簡単なことではない。いかに多くのファンを持ち続け、変わらぬ支持を得ているかの証左であり勲章だ。
『孤独のグルメ』がスタートしたのは、7年前の2012年。それも鳴り物入りの登場ではなく、深夜らしくひっそりと始まった。
ところが回を重ねるごとに、「テレ東の深夜で面白いものをやってるらしい」と、テレビ好きやドラマ好きの間で話題となり、口コミ的に噂が広がっていった。
内容を確認してみよう。登場するのは井之頭五郎(松重豊)ほぼ一人。個人で輸入雑貨を扱っているが、五郎の仕事ぶりを描くわけではない。商談のために訪れる様々な町の「実在する食べ物屋」で、フィクションの中の人物である五郎が食事をするのだ。
番組のほとんどは五郎が食べるシーンで、そこに彼の「心の中の声」が自前でナレーションされる。
たとえば、シーズン2に登場した、京成小岩駅近くの四川料理「珍珍」。水餃子を目にした五郎は、「見るからにモチモチした皮。口の中で想像がビンビンに膨らむ。たまらん。たまらん坂(田原坂?)」などと、おやじギャグ満載の内なる声を発し続ける。この“とりとめのなさ”が、何とも心地いいのだ。
またシーズン3では、伊豆急に乗ってプチ出張。川端康成「伊豆の踊子」で知られる河津町でグルメした。食したのは、名物のワサビを使った「生ワサビ付きわさび丼」だ。カツオ節をまぶしたご飯に、自分ですりおろした生ワサビを乗せ、醤油をかけて混ぜるだけの超シンプルな一品。しかし、五郎の表情でその美味さがわかる。
しかもそこに、「おお、これ、いい!」とか、「白いメシ好きには堪らんぞ~」といった心の声がナレーションされると、見る側も俄然食べたくなってくる。
そう、このドラマの面白さは、口数が少ない主人公のせりふではなく、頻繁に発する心の声、「つぶやき」にあるのだ。いわば五郎の「ひとりツイッター」であり、「ソーシャルテレビ・アワード」の受賞も納得だ。
そして、忘れられないのがシーズン6で訪れた、渋谷道玄坂の「長崎飯店」である。皿うどんに入っていた、たくさんのイカやアサリに、「皿の中の有明海は豊漁だあ!」と感激。また春巻きのパリパリ食感を、「おお、口の中でスプリングトルネードが巻き起こる!」などと、何とも熱い実況中継を披露した。
もしもこれを情報番組で、若手の食リポーターが語っていたら噴飯ものだろう。「オーバーなこと言ってんじゃないよ!」と笑われるのがオチだ。しかし我らが五郎の言葉には、「一人飯のプロ」としての説得力がある。食への好奇心、感謝の心、そして遊び心という3つの心が、てんこ盛りだからだ。
常に一人で食事をする五郎(設定では独身)だが、そこにいるのは「職業人」としての自分でも、「家庭人」としての自分でもない。いわば本来の自分、自由な自分だ。
誰の目も気にせず、値段や見かけに惑わされず、美味いものを素直に味わうシアワセがここにある。それが大人のオトコたちには、唸るほど羨ましい。「グルメドキュメンタリードラマ」の本領発揮だ。
銭湯バージョンとしての『昼のセント酒』
『孤独のグルメ』の成功を踏まえ、2016年の春クールに放送されたのが、『昼のセント酒』だった。
このドラマの主人公は、小さな広告会社に勤める営業マン・内海(戸次重幸)である。売り上げがイマイチであることは気になるものの、外回りで訪れた町で銭湯を見つけると入らずにはいられない。そして、風呂上がりには一杯やらずにいられない男だ。
銭湯では、戸次が本当にスッポンポンで入浴する。当時、これほど男のナマ尻を見せられるドラマは珍しかった。画期的とも言える。いや、ボカシなどは一切ない。裸で歩き回る戸次の度胸は見上げたものだが、その股間を、風呂桶や飾ってある花で隠し続けるカメラもまた、アッパレな名人芸だった。
さらに、「こら! 銭湯の中で騒ぐんじゃない!」と、やんちゃな子供を叱る近所のオヤジの存在もうれしい。
原作は、『孤独のグルメ』で知られる久住昌之のエッセー集だ。毎回、「実在の銭湯や店」が登場するが、実は単純に原作をなぞっているだけではない。
たとえば北千住の場合、原作では「大黒湯」から居酒屋「ほり川」に向かったが、番組は「タカラ湯」と「東光」のチャーハンを取り上げた。
また、原作の銀座編は「金春(こんぱる)湯」と、そば「よし田」の組み合わせだったが、番組では金春湯は同じでも、新橋のやきとん「まこちゃん」まで歩いて、シロとカシラを味わっていた。こういうのは地道なロケハンの成果だ。見ていると、カバンにタオルをしのばせ、ふらりと寄ってみたくなる。
「食」にこだわる『孤独のグルメ』をアレンジしながら、「風呂」という新たなアイテムを発見し、後の『サ道』への道筋をつけたことは大きな功績だ。
奇跡の脱力系ドラマとしての『日本ボロ宿紀行』
深川麻衣が、「乃木坂46」を卒業したのは2016年のことだった。その後、女優として活動を続け、朝ドラ『まんぷく』ではヒロイン・立花福子(安藤サクラ)の姪、岡吉乃を演じていた。
そして今年の1月クール、晴れの「地上波連続ドラマ初主演」となったのが、『日本ボロ宿紀行』だ。
ヒロインの篠宮春子(深川)は、零細芸能事務所の社長。同時に、かつての人気歌手・桜庭龍二(高橋和也、好演)のマネジャーでもある。経営者だった父親(平田満)が急逝し、春子は突然社長になってしまったのだ。
しかも所属タレントは皆退社してしまい、残留したのは桜庭だけだった。本当は、桜庭も「辞める」と言ったのだが、「売れ残りのCDを全部売ってからにしてください!」と春子が突っぱね、このたった1人の所属歌手と共に地方営業の旅に出る。
とは言うものの、このドラマは「忘れられた一発屋歌手」の復活物語ではない。2人が地方の旅先で泊まり歩く、古くて、安くて、独特の雰囲気を持った「ボロ宿」こそが、もう1人(1軒?)の主人公だ。
春子は幼い頃、父親の地方営業について行った体験のおかげで、無類の「ボロ宿好き」になってしまった。毎回、ドラマの冒頭で、春子が言う。「歴史的価値のある古い宿から、驚くような安い宿までをひっくるめ、愛情を込めて“ボロ宿”と呼ぶのである」と。
この言葉は、原作となっている、上明戸聡の同名書籍にも書かれている。しかも、原作本はあくまでもノンフィクション。このドラマに登場するのもまた、毎回、「実在の宿」だ。
新潟県燕市の「公楽園」は元ラブホで、お泊まりが2880円也のサービス価格。ここでの春子と桜庭の夕食は、節約のために自販機ディナーだった。また山小屋にしか見えない、群馬県嬬恋村にある「湯の花旅館」も、玄関に置かれた熊の剥製や巨大なサルノコシカケが、どこにも負けないボロ宿ムードを醸し出していた。
つまり、登場する「ボロ宿」のマニアック度やニッチ度が半端じゃないのだ。まあ、それがこのドラマのキモだと言っていい。
行く先々で桜庭がマイクを握るのは、誰も歌なんか聴いていない温泉の広間だったり、何でもない公園の片隅だったり、まさかの「お猿さんショー」の前座だったりと、泣けてくるような場所ばかりだ。唯一のヒット曲「旅人」を熱唱した後、がっくりと落ち込む桜庭を引っ張るようにして、春子はその日の宿へと向かう。
そのボロ宿で、壁のしみだの、痛んだ浴槽だの、古い消火器だのに、いちいち感激する春子が、なんともおかしい。何より、「女優・深川麻衣」が平常心のまま頑張っている。もう、それだけで、一見の価値ありと感じてしまう、奇跡的な脱力系深夜ドラマだった。
それにしても深夜とはいえ、「よくぞこの企画が通ったものだ」と思う。マイウエイというより、アナザーウエイを行く、テレビ東京ならではの強みだろう。
「食事処」「銭湯」「宿」と進んできた、テレ東「深夜のドキュメンタリードラマ」。この夏、新たなテーマとしたのが、「サウナ」というわけだ。
そして、サウナが“主役”の『サ道』へ
『サ道』の登場人物は、上野にある「北欧」をベース基地にしている、「プロサウナ―」のナカタ(原田泰造)、偶然さん(三宅弘城)、イケメン蒸し男くん(むしお、磯村勇斗)の3人だ。
このドラマは、彼らによる細かすぎて笑ってしまう「サウナ談義」と、ナカタが一人で訪れる各地の「極上サウナ」が、入れ子細工のような構成で進んでいく。
とにかく、取り上げるサウナが、いずれも魅力的だ。杉並区のごくフツーの住宅地の一角にある「吉の湯」は、遠赤外線利用のサウナと屋外での「外気浴」が嬉しい。また錦糸町「ニューウイング」には、何とミニプールの水風呂があって、ジャバジャバと泳ぐことができる。
平塚の「太古の湯 グリーンサウナ」では、珍しいテントサウナが味わえる。狭い空間だが、白樺の枝の束「ビヒタ」で体をたたいて、サウナの本場フィンランドに思いをはせるのだ。
そして、埼玉の「草加健康センター」では、北海道から出張してきた伝説の「熱波師」、エレガント渡会(わたらい)さんによる、至高の「ロウリュ(サウナストーンに水をかけて水蒸気を作り、それをタオルなどであおいで客に熱風を送る)」を体験する。
サウナ、水風呂、そして休憩というセットを数回繰り返すうち、一種のトランス状態のような快感がやってくる。ナカタたちはそれを「整った~」と表現しているが、見ていると、すぐにもサウナに駆け付け、ぜひ整ってみたいと思う。
先日は、ついに“サウナの聖地”として崇められている、静岡の「サウナしきじ」が登場した。注目は、水風呂で使われている「水」だ。それは、まさに「富士の天然水」であり、水風呂につかりながら、浴槽に注入されるその水を飲むことができる。タナカも「水によって水風呂はこんなに違うのか~」と、うっとりするほどだった。
ドラマの中で、サウナのことを「家族公認の愛人」と表現していたが、言いえて妙だ。どんなに通いつめても(度合はあるだろうが)、家族から、特に妻から文句がでることは、あまりないと思う。オトナの男には、おススメの道楽である。
そうそう、このドラマの映像が美しいことも記しておきたい。基本的には男の、いや、おっさんたちの裸が頻出するわけだが、あまり見苦しい、暑苦しい、鬱陶しいという印象はない。むしろ、サウナの中や、水風呂の風景の美しさのほうが目立つほどだ。演出家の美意識、そしてカメラや照明のスタッフの奮闘によるものだろう。
最後に、一度聴いたら忘れられないテーマ曲「サウナ好きすぎ」もいい。何と、あのCornelius(小山田圭吾)なのだ。サウナという桃源郷での“うっとり感”や“恍惚感”を、見事に楽曲化している。ふとした瞬間、「♪ サ、ウ、ナ、好き、すぎ」と口ずさんでいる自分に気づいたりするほどで、音楽によっても“整った~”を実現しているのだ。