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完結した「やすらぎの刻~道」 見る側に残る数々の台詞

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<碓井広義の放送時評>

完結した「やすらぎの刻~道」

見る側に残る数々の台詞

 

倉本聰の脚本による「やすらぎの刻~道」(テレビ朝日-HTB)が幕を閉じた。昨年4月から1年間、平日に毎日放送されてきた一種の大河ドラマだ。しかも2017年の「やすらぎの郷」の続編である「やすらぎ」パートと、昭和から令和までを貫く「道」パートの二重構造という意欲作だった。

番組ホームページによれば、総出演者は402名。エキストラ総数が1235名。発注された弁当は約1万4千個だという。前代未聞のスケールだ。

このドラマには、戦争、老い、そして死など、他の連続ドラマではあまり描かれないテーマがいくつも投入されていた。まさに「倉本ドラマ」ならではだ。倉本聰が生まれたのは1935年(昭和10年)。翌年二・二六事件が起こり、その1年後には日中戦争が始まる。

敗戦時に10歳だった倉本は、戦地には行っていない。しかし、「銃後」の「少国民」として見聞きしたことや、「学童疎開」などの体験の全てが、倉本の中で脈々と生き続けている。それらは登場人物たちが語る言葉、つまりドラマの中の台詞(せりふ)を通して見る側へと届けられた。

たとえば、根来鉄兵(平山浩行)はこんなことを言っていた。「殺したら祈れ。謝罪でも感謝でも良い、神様に祈れ。けものを殺す時、わしゃいつもそうしとる。(中略)戦争は殺しても相手を喰わん。喰わんのに殺す。そんなことわしゃできん! だからわしゃ戦争ちゅうもンを--好かん!」

また公一(佐藤祐基)も憤っていた。「戦争はいやだな。戦争はけんかじゃ。それも、何の恨みもない、--逢ったこともない相手とのな。(中略)戦争ちゅうのはそういうもンだ。殺す理由などないものを--敵だというだけで、--国が違うというだけで、--只わけもなく殺し合うンじゃ」

そして現在の社会を見つめる老脚本家、菊村栄(石坂浩二)の感慨。「私は大声で叫びたくなっていた。君らはその時代を知っているのか! 君らのおじいさんやおやじさんたちが、苦労して瓦礫(がれき)を取り除き、汗や涙を散々流して、ようやくここまでにした渋谷の路上を、なんにも知らずに君らは歩いてる! えらそうにスマホをいじりながらわが物顔で歩いてる! ふざけるンじゃない!」

いずれも、本来は役者が口にすると同時に消えてしまうはずの言葉だ。しかし倉本が台詞に込めた思いは、言霊(ことだま)となって私たちの中に残っていく。「やすらぎ」シリーズとは、そういう貴重なドラマ体験だった。

(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2020.04.04)


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