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その本質が問われる、コロナ禍におけるテレビ

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本質問われる

コロナ禍のテレビ

 

今期クールの目玉となるドラマの多くが、放送延期や制作中断に追い込まれている。またワイドショーのコメンテーターたちは自宅などスタジオ以外の場所からリモート出演し、モニターの中から語りかけている。

さらに、メインキャスターが不在となるニュース番組まで現れた。言わずと知れた新型コロナウイルスの影響だが、未曽有の事態と言える。

だが、それ以上に驚いたのは人気バラエティー番組から「司会者」が消えたことだ。「月曜から夜ふかし」(日本テレビ―STV)の4月13日放送分で、司会を務めるマツコ・デラックスと村上信五が「音声」だけの出演となっていたのだ。

この番組は「世間で話題となっている様々な件」を独自調査し、スタジオのマツコと村上がツッコミ的なコメントをしていく構成になっている。意外だったのは、2人が音声のみであるにもかかわらず、それなりに番組が「成り立っている」ように見えたことだ。

もちろん、視聴者が番組の流れをよく理解しているという前提があった。しかし、「番組の顔」である司会者が、それこそ顔や姿を見せていなくても番組が出来てしまったことに注目すべきだろう。

70年近い時間をかけて築き上げ、見る側も作る側も当たり前だと思っていたテレビのスタイルが、一晩で丸ごと変わったようなインパクトがあった。ややオーバーな表現をすれば、「パンドラの箱」を開けてしまったのかもしれないのだ。

いつになるのか分からないが、コロナ禍が終息したとしよう。その時、バラエティー番組には、コロナ以前と同様の「ひな壇芸人」が並んでいるだろうか。ワイドショーのスタジオには、タレントやコメンテーターが座っているだろうか。

いや、それどころか、バラエティーやワイドショーの司会者やニュース番組のキャスターも、以前と同じような形で存在しているのかさえ不明だ。

広く知れ渡った言葉に「断捨離」がある。不要な事物を「断つ、捨てる、離れる」ことで、生活のみならず人生そのものを改善しようとする取り組みだ。

現在のテレビは、新型コロナウイルスという外圧によって、この断捨離を強いられていることになる。人やシステムを見直し、「本当に必要なもの」だけを取捨選択する。

ただし、そうやって苦境を乗り切ったとして、すべてが「元通り」になるはずもない。それは退化や劣化なのか。それとも予期せぬ進化なのか。テレビというメディアの本質が問われることになる。

(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2020年05月02日) 

 


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