朝ドラ「エール」
戦争と音楽 どう描く?
この春から放送中のNHK連続テレビ小説「エール」。主人公である古山裕一(窪田正孝)のモデルは作曲家の古関裕而(こしき ゆうじ)だ。
古関が昭和を代表する作曲家の一人であることは確かだが、なぜ古賀政男でも服部良一でもなく、古関なのか。何より64年の東京オリンピックの入場行進曲「オリンピック・マーチ」を作ったことが大きい。第1話にそのエピソードを入れたことでも明らかだ。
昨年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」で地ならしをし、今年の「エール」でオリンピックムードを盛り上げる。そんな予定だったのだろう。
NHKの二枚看板を使った国家的イベントのPR。さすがに政権からの直接要請はなかったようだが、一種の忖度だった可能性はある。
とはいえ、「エール」は誰もが楽しく見られる良質な朝ドラになっている。オペラ歌手を目指していた妻・音(二階堂ふみ)との「夫婦物語」であり、幼少期から音楽に親しんできた二人の「音楽物語」でもあるという、絶妙な合わせ技が効いているのだ。
ただし、今後の展開で注目したいことがある。戦時中の古関は、いわば“軍歌の巨匠”だった。「勝って来るぞと勇ましく」の歌い出しで知られる、大ヒット曲「露営の歌」はその代表作だ。
たとえば昭和16年だけでも「みんな揃って翼賛だ」「七生報国」「赤子(せきし)の歌」など大量の作品を作っている。
さらに12月8日、つまり開戦当日の夜にはJOAK(後のNHK)のラジオ番組「ニュース歌謡」で、古関が書いた「宣戦布告」なる曲が放送されたのだ。こうした活動は敗戦まで続けられた。
果たしてドラマでは、この時代の古関をどう描くのか。レコード会社の専属作曲家としての「業務」だったことは事実だが、戦時中もしくは戦後の古関の中に葛藤はあったのか、なかったのか。
また戦場へと駆り出された若者たちは、どんな思いで古関の歌を聞き、そして歌ったのか。
さらに、戦時放送という形で戦争にかかわり続けた、当時唯一の放送局であるJOAKを、現在のNHKは、そして制作陣はどう捉え、ドラマの中で表現していくのか。戦時のエール(応援)が持つ役割と意味を見極めたい。
(しんぶん赤旗「波動」2020.05.04)