Quantcast
Channel: 碓井広義ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5568

読売新聞の「明日、ママがいない」検証記事で解説

$
0
0

26日の読売新聞夕刊に、『ドラマ「明日、ママがいない」検証』が
掲載されました。

全国児童養護施設協議会の武藤素明・副会長と、私の話を併記したものです。


ドラマ「明日、ママがいない」検証
舞台となった児童養護施設の描写などをめぐり、物議を醸したドラマ「明日、ママがいない」(日本テレビ系)の放送が終わった。最終回まで見て、果たして、その表現をどう評価したのか。全国児童養護施設協議会関係者と、放送批評の専門家に話を聞いた。(大木隆士)


許容の幅を大きく逸脱
全国児童養護施設協議会副会長
武藤 素明氏
1〜3話に比べ、中盤以降は変わったように感じる。愛をテーマにした人間ドラマにするように努め、評価できる部分はあった。すべてがとんでもないとは思わない。子役たちの演技は素晴らしく、引き付けられた。

ただやはり前半は行き過ぎだった。テレビだから「分かりやすく」と言われるが、当事者からすると「なぜあんな場面にするのか」と違和感が強かった。

フィクションだから、現実と違う部分があるのは承知している。ただ今回は、それが多すぎた。マイナスイメージを助長し、子供がいじめの対象となる可能性もあった。子供をペット扱いするようなセリフもあったが、もっと表現を工夫できたはずだ。

現実を100%再現してほしいと求めているわけではない。しかし、許容されるフィクションの幅というのはあると思う。このドラマは、それを大きく逸脱していた。取材をしたと言われるが、まずストーリーありきで、それから取材をしたようにも感じた。

もちろん自分の考えを代弁してくれたと感じる子もいた。ただ、ドラマを見ただけで深く傷つく子もいる。子供たちはそれぞれに事情を抱え、育った環境も経験も違う。今の状況を、きちんと知ってほしかった。

社会に児童養護が知られていないことも、今回の問題の要因だったと思う。テレビを通じて、子供たちの実情を知ってもらうのは重要だ。積極的に取材、報道していただけたらと願っている。(談)

+++++++++++++++++++++++

視聴者の感じ方は自由
上智大教授・メディア論
碓井 広義氏
半ば予想通りの結末だったが、ようやく最後で、ドラマが伝えたいことを視聴者は感じ取れたのではないだろうか。

施設にいた4人の子供はそれぞれ、違った道を進んでいった。大人ではなく、自らが選択した道を。子供たちも自己決定しなければいけない時代になったことを示しているように感じた。

また現代的な親と子の断面も切り取って見せた。親子関係に正解はない。子供が幸せになればいいという主張も含んでいたと思う。

今回、施設長の発言などが、児童養護の実態と異なると批判された。だが、特定の個人を傷つける場合を除き、フィクションの表現は、目を背けたくなるようなものも可能な限り許されるべきだ。誇張して表現することで、本質を浮かび上がらせることもある。

ただし当事者への配慮は必要で、それもまた表現の一部だろう。今作の脚本は「分かりやすさ」を優先させ、児童養護というデリケートな問題に対し、稚拙だった。その意味で、制作者の責任は大きい。

ただ制作者の狙いとは別に、視聴者の受け止め方は自由だ。極端に言えば、「誤読」する楽しみもある。誰も見向きもしない一言に、感動する人もいる。「こう感じるはずだ」という決めつけはよくない。

今回はインターネットなどでの世論形成過程で否定の同調圧力を感じた。ある流れと方向ができると、異論を挟むことが難しくなる。その点も現代を象徴していたのではないか。(談)

(読売新聞夕刊 2014.03.26)

Viewing all articles
Browse latest Browse all 5568

Trending Articles