朝日新聞で、安倍首相の最近の傾向である「一方的な情報発信」について解説しました。
今や、国民にとって重要な案件であればあるほど、安倍首相は「自分が伝えたいことだけを伝える」ようになっています。
首相、質問が嫌い?
説明長く、記者とのやり取り短く
会見 かみ合わぬ答えも
自らの説明は長く、記者との質疑応答は短く――。集団的自衛権の閣議決定や北朝鮮への制裁一部解除など重要な政策決定を矢継ぎ早に下す安倍晋三首相。国民への発信にこだわる一方、記者会見などで質問への対応が十分とは言えない姿勢が目立つ。
首相は3日夕、拉致被害者の特別調査委員会の設置を受け、北朝鮮への制裁一部解除を決めたと公表した。「これはスタートでしかない。全面的な解決に向けて一層身を引き締めて全力で当たっていく決意だ」
時間はわずか約1分。記者団の質問は受け付けず、そのまま官邸内の執務室に戻った。5月29日に拉致被害者の再調査に関する日朝合意を発表した際も、首相は約1分間一方的に語り、質疑には応じなかった。
記者会見でも、まずは自らの説明に時間を割く姿勢が目立つ。
憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使などを認める閣議決定をした今月1日。臨時閣議後の会見にかけた時間は計24分13秒。首相は冒頭発言で、うち10分1秒を使って「今回の閣議決定で日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」などと解釈変更の正当性を訴えた。
後半14分余の質疑応答では、内閣記者会の幹事社2社を含め5社が質問をしたところで、司会役の内閣広報官が「予定時間を過ぎた」と会見を打ち切った。幹事社の質問は事前に首相側に通告する。答える首相も、手元の紙に視線を落とす場面が目立った。
冒頭に力
冒頭の説明に力を入れる傾向は最近の会見で目立つ。5月15日に集団的自衛権の行使容認検討を表明した会見では、会見時間33分7秒のうち、質疑は17分5秒。6月24日に新成長戦略を公表した会見は27分35秒で、うち質疑は15分16秒だった。
質問に正面から答えない場合も目立つ。今月1日の会見で、AP通信の記者が「集団的自衛権の行使で(自衛隊員らの)犠牲を伴うかもしれない。一般の国民の生活には何か変化があるのか」と問うと、首相は「平和国家、国民としての歩みは今後も決して変わることはありません」。危険を伴う任務をする自衛隊員に「彼らは私の誇り」「今後とも彼らは国民を守るために活動していただける」としつつ、人的犠牲の可能性には触れなかった。
5月15日の会見では、東京新聞の記者が「憲法解釈変更は、立憲主義の否定ではないか。政権が自由に解釈を変更して問題ないと考えるか」と質問。これに対し首相は「立憲主義にのっとって政治を行っていく、当然のことであります」「人々の生存する権利を政府は守っていく責任がある。その責任を放棄しろと憲法が要請しているとは考えられない」と、解釈変更が立憲主義に沿うかどうかを明確に答えることはなかった。
今月1日の会見後、日本テレビの報道番組に出演した際にも、こうしたすれ違いが見られた。キャスターが「(集団的自衛権行使の)ルールがよくわからない。明確な歯止めがない」などと指摘したのに対し、首相は「全く違います」と反論。「今の個別的自衛権でも(発動の)3要件がある。(解釈を変えた新たな)3要件はほとんど同じ」と述べたものの、その後は「(米軍の)船に乗っている日本の女性やお子さんを自衛隊は助けなくてもいいのか」と話題を転じた。
自ら発信
首相に記者が質問する機会はかつて、格段に多かった。2001年に就任した小泉純一郎首相は原則1日2回、官邸や国会などで記者団の質問に答えた。いわゆる「ぶら下がり」取材で、質問の事前調整はない場合が多かった。安倍首相も06〜07年の1次政権ではこれに応じていた。しかし民主党の菅直人首相が東日本大震災の対応を理由に、ぶら下がりを中止。政権交代で再度就任した安倍首相も復活させなかった。
安倍首相は一方で、テレビ番組への出演やフェイスブックを通じて、自らの主張や政策を発信することに力を入れている。(藤原慎一)
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イメージ作り 戦略的
碓井広義・上智大教授(メディア論)
安倍晋三首相は明らかに、自分が国民の目にどう映るかを意識し、計算している。インターネットも駆使しながら、発信したい情報に応じてメディアを使い分けるなど、高度で戦略的なイメージ作りをしている。質疑応答の時間を削れば、不用意な発言のリスクも減る。それをよく分かっているからこそ、今後も一方的な情報発信を増やしていくだろう。
勇ましさに自己陶酔
ジャーナリストの斎藤貴男さん
安倍首相は集団的自衛権などの勇ましい演説テーマやそれを語る自分に酔い、インターネットの身内的な反応に酔っている。嫌いで苦手な質疑応答の時間が減るのは当然の成り行きだ。ただ、単に質問を受ける機会が増えればいいわけではない。会見やぶら下がりを権力側の宣伝の場にさせず、いかに批判的な言論空間を作るか。まさに記者の力量が問われている。
(朝日新聞 2014.07.05)