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街と人~変わるものと、変わらないもの

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本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/reviews/1676706


街と人~変わるものと、変わらないもの
『靖国』のときも、「すごい書名だなあ」と思ったが、『東京』っていうのもすごい。読めば、ずばりのタイトルなのだが。

坪内祐三『東京』(太田出版)は、東京の街を歩きながらの青春回想記だ。本の帯には「自伝青春譜」とある。

ただし、歩いたのは2004年から07年にかけて(雑誌「クイック・ジャパン」での連載)だから、その時点での「現在」と「青春時代」が語られている。

目次を開いて、ランダムに読む。自分が好きな街。知っている街。気になる街。訳ありの街。一度も行ってない街。

坪内さんが書くその街との関係と回想に、自分自身の街との関係と回想が微妙に絡み合う。読みながら、やけに内省的になっていることに気づく。

たとえば、赤坂。坪内さんにとっての赤坂を読みながら、自分のいた会社が長くあったあの街を思い出している。私の80年代は赤坂がベースになっていた。

まだ焼けていない「ホテル・ニュージャパン」の和室で行われた構成会議。

一ツ木通りに面していた頃のTBSの地下にあった「ざくろ」で、先輩からごちそうになった「しゃぶしゃぶ」の味と値段に驚いた、駆け出しAD時代の自分。

ここのカレーが大好きで、週に一度は食べていた「トップス&サクソン」。

殿山泰司さんが座っている隣のテーブルで、文庫本を読みながらコーヒーを飲んだ喫茶店「一新」。

・・・こうしてすぐに挙げられる場所や店が、この本には全部出てくる。

他にも、神保町や早稲田や下北沢など、はやり読みながら勝手な回想に没入してしまう街がある。

街は変わる。変わってきた。そして、坪内さんも、これを読んでいる私も。その一方で、街にも、自分たちの中にも、どうしようもなく変わらないものがある。その両者を感じさせてくれる一冊だ。

文章との相乗効果を見せる北島敬三さんの写真もいい。まるで自分の記憶のワンシーンのようだ。

そうそう、巻末に坪内さんと北島さんの「エピローグ対談」が載っている。

では、「プロローグ対談」はどこかと思ったら、何と、カバーの裏側に印刷されていた。ぺろりと脱がして、読む。

でも、これって、図書館に収められた場合、どうなるんだろう。図書館では、本を必ず加工する。カバーを表紙に貼り付けたりするのだ。借りた人は、この大切な対談が読めるんだろうか。余計な心配だけど。

【気まぐれ写真館】 天皇誕生日の夕景 2016.12.23

週刊朝日の特集「2016 お騒がせな人々」で解説

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週刊朝日の特集記事「2016 お騒がせな人々」で解説しています。


年忘れワイド 
2016 お騒がせな人々
LINEで自滅したベッキー、川谷、乙武、文枝
・・・それぞれの後始末
ゲス不倫の衝撃で幕を開けた2016年。“お騒がせな人々”を総ざらいする。まずはその不倫問題の主役から……。

「このタイミングで私に?と、ただただ驚きました」

12月15日、都内で開かれた会見に今年のお騒がせ女王、ベッキーが笑顔で登場した。不倫騒動後、初となるテレビCMがLINE(年末年始に声の出演)に決まったのだ。

そもそもベッキーと「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音の不倫騒動は、1月6日の謝罪会見後に週刊文春に掲載されたLINEのやりとりが決定的証拠となった。ベッキーが書いた〈センテンス スプリング!〉は2016年の流行語大賞にノミネートされた。

「まさに因縁のツールを宣伝するのだから、並々ならぬ意志の強さを感じます」

と舌を巻く上智大学の碓井広義教授(メディア論)は、こんな前向きなベッキーを、“十分たたかれたよね”と世の中も迎え入れる雰囲気になったと話す。

「9月に川谷君が交際相手の未成年女性と飲酒した問題が発覚して、シーソーで言えば川谷君の価値が下がった分、ベッキーが浮上した感じがある」

川谷は、ベッキーが犠牲を払う間にも「なんで俺が謝るんだ」とバンド活動を続けたが、飲酒問題で自粛に入った。ファンによれば、自粛前の最後のライブで「28歳はいい年にしたい」と言ったとか。マスコミへは、何かあればまた俺が悪者になる、と漏らしたとも。

こんな川谷を「ガキやな」と失笑するのはテレビウォッチャーの吉田潮さん。

「素直すぎにもほどがある。取り繕うこともできず、恋愛哲学をそのまま言って、おこちゃまだ」

一方、復活するベッキーにはこんなエールを送る。

「皆が“優等生キャラ”から引きずりおろしたがっていたけど、そのキャラを卒業できたのはめでたい」

ベッキーがクリーンなイメージだったからこそ世間の驚きも大きかったわけだが、男性でイメージを覆した人物といえば5股不倫を告白した乙武洋匡氏だろう。今春、参院選立候補のうわさがあった中で“まさか”の発覚だった。

碓井教授は言う。

「あと一歩で国会議員だったのに、ハシゴから滑り落ちた感じ。最もがっかりしたのは、発覚後に奥さんに謝罪コメントを書かせたこと。あれで世間は乙武君のあざとさを見抜きました」

不倫の後始末を妻にさせて、結局離婚したが、こんな意見もある。

「離婚が悪い結末とも言えない。世間はどこかで障がい者の性についてきれいにとらえたいという思い込みがあるし、それに(何人もの子育てが大変な)奥さんのために外で……もわからないでもない」(吉田さん)

この秋から乙武氏は振り切ったキャラで動き出す。11月、「ワイドナショー」(フジテレビ系)に9カ月ぶりに出演。〈復帰させて頂けるときはゲスの極み乙武!としてぜひ〉と話し、その後ツイッターも再開し、話題を呼んでいる。

「才能があるし、新ビジネスでも展開するのでは」(同)

一方、伝統芸能の世界では、大物が次々と不倫を暴かれた。まずは73歳の桂文枝。2月に35歳年下で演歌歌手の紫艶との20年交際が発覚し「嫁さんを裏切るようなことになって」と謝りつつも、不倫は「事実と違う」と否定。すると紫艶がフェイスブックに師匠とおぼしき人物の全裸写真を掲載した。しかもその手元には「新婚さんいらっしゃい!」のロゴ入りクッションが──。

碓井教授は「対応も相手選びもまずかった。師匠、その人にいっちゃったかー」と苦笑い。

「文枝師匠は相手を支える足長おじさん風だったと言い訳したため、彼女の感情が悪化した。師匠が出る番組を見て視聴者が心から笑えない。話が落ちず、自分が落ちちゃった」

文枝は離婚せず、6月に8期目となる上方落語協会の会長に決まったが、「体力的な面も考えてこれで最後にしたい」と今期限りでの勇退を発表した。

「この騒ぎで根こそぎ体力を奪われたと思う。ネットに下半身ぺろ~んなんて書かれ、男の沽券が大変」(吉田さん)

(週刊朝日 2016年12月30日号)

【気まぐれ写真館】 窓辺のクリスマス・イブ 2016.12.24

だから、「事典」は面白い

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本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/columns/1676835


だから、「事典」は面白い
所属している新聞学科の学生たちに本を薦める時、必ず入れる一冊がある。『現代ジャーナリズム事典』(三省堂)だ。この本の監修は武田徹(ジャーナリスト・恵泉女学園大学教授)、藤田真文(法政大学教授)、山田健太(専修大学教授)の3氏。 いずれも信頼できる研究者だ。

事典を”通読”してみる

厚さ3センチ、378ページ、約700項目が記載された事典である本書を、“引く”とか、“拾い読み”とかではなく、頭から“通読”してみた。

あらためて、優れた事典は“引く”だけの書物ではなく、わくわくする“読みもの”でもあることを再認識した。項目の並びは「あいうえお順」で、思想、倫理、理論、表現、権利、事件、報道など多岐にわたるが、読み進めるうち、「ジャーナリズムの過去・現在・未来」の全体像が徐々に浮かび上がってきたからだ。

ジャーナリズムの「論点」

新聞におけるニュースバリューは、記事が掲載された紙面と文章の量、そして論調で確認できる。ならば事典ではどうか。”割かれた字数”が重要度を示すと考えていいだろう。

本書の場合、”長めの文章”で構成された項目は以下の通りだった。「戦時下の情報統制」「メディアと権力」「言論・出版・表現の自由」「個人情報」「報道被害」「報道倫理」「メディアリテラシー」「ジャーナリズム教育」などだ。これらを見ただけで、監修者、編集委員、そして執筆者たちの姿勢や問題意識が伝わってくる。

次に独特の整理法にも好感をもった。たとえば、「秘密保護法制」という項目がある。ここでは明治憲法下における軍事機密の扱いから、最近の特定秘密保護法まで言及している。それによって、特定秘密保護法をめぐる問題を歴史的視点に立って考察することが可能になる。

また「自主規制制度」についても、わざわざ出版、新聞、放送の3つに分けて述べている。こうした姿勢が事典としての精度を上げているのだ。

記述にも多くの配慮が為されている。例を挙げれば、「報道倫理」に関する要点を解説した後、「倫理違反を違法行為として罰してよいのか、そもそも倫理とは何なのか」という大きな課題を示すことを忘れていない。

さらに「発掘!あるある大事典2事件」「テレビ離れ」「図書館の自由」など、この事典ならではの項目設定にも注目したい。

中でも驚くのは、「電通」が入っていたことだ。広告業界を牽引してきた一方で、寡占化やガラパゴス化など「日本の社会的コミュニケーションの閉鎖性を促してきたのではないか」と厳しい指摘も行っている。

もちろん、「ソーシャルメディア」などの新語も収容されていた。市民の多くが発信者になることの意義だけでなく、「誹謗中傷やデマが拡散しているなどの問題点も指摘されている」との記述も重要だ。

事典の”日常使い”

アナウンサー志望の女子学生が鞄の中に「アクセント辞典」を忍ばせ、“ゼミ飲み”の席でもチェックしている姿を見かけたことがある。その意気や良しだ。

ならばジャーナリスト志望の学生諸君は、すべからく本書を常時携帯し、随時ひも解くべきだろう。そのための並製(ソフトカバー)仕様でもある。

そして、異色の「事典」たち

荒俣宏『喰らう読書術』(ワニブックスPLUS新書)の中に、興味深い提言があった。

荒俣さんは、今こそ「教養主義」的な読書が必要な時代ではないかというのだ。全集や事典には「体系の本質」があると説いている。

また、成毛眞『教養は「事典」で磨け~ネットではできない「知の技法」』(光文社新書)は、 書評サイト「HONZ」代表が勧める事典活用法だ。

「ある分野の素人には、その分野を学んでいく過程を楽しむ権利がある」と成毛さんは言う。編者の個性が前面に出た事典は意外と古びない。小刻みな知のインプットを行うのに最適だ。図鑑を含む事典が、実に有効な教養書だと知った。

たとえば、手元に以下のような事典がある。そのジャンルで知りたいことがあった時はもちろん、ランダムに開いてみたりする。発見や再発見の連続で、大いに刺激されるのだ。

重金敦之『食彩の文学事典』(講談社)は、文士たちの描いた食べ物が一堂に会する、画期的な文学辞典だ。たとえば大根。池波正太郎「剣客商売」には猪の脂身と大根だけの鍋が登場する。水上勉は「皮をむくな」と寺での小僧時代に教えられたと書く。250冊から抽出された和食のエッセンスが味わえる。

瀧口雅仁『古典・新作 落語事典』(丸善出版)は、新作を含む約700席を収載した画期的な事典。あらすじに続く解説も秀逸だ。たとえば三遊亭圓朝作とされる「死神」では、グリム童話などとの関係を辿る一方で、六代目圓生や十代目柳家小三治、立川志の輔の型にまで言及している。個人で成し遂げた金字塔だ。

重木昭信『ミュージカル映画事典』(平凡社)は、誕生から現在まで、ミュージカル映画の軌跡を辿りながら、その全体像を提示した本邦初の事典である。登場する作品は約3200本。本編はもちろん、年度別作品一覧、邦題・原題・人名索引の充実ぶりにも驚かされる。これを一人で完成させた著者に拍手だ。

【気まぐれ写真館】 街なかのスケート場 2016.12.26

かつて暮らした町と家のやわらかな記憶

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本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/reviews/1676907


かつて暮らした町と家のやわらかな記憶
高校を卒業し、大学生となって上京するまで、ずっと親元に住んでいた。実家は商売をしていたから、「父親の転勤で引越し」みたいなことは一度もなかった。

一人暮らしを始めて最初に住んだのは、大学に近い下宿屋で、これが東横線の日吉だ。それ以降は、何度か引越しを経験している。東急大井町線の大岡山(東工大がある)。渋谷区神山町(道の向かい側はNHK)。そして、一旦、信州の小諸(教員の独身寮)に移って、また東京へ。今度は渋谷区の富ヶ谷だった。その後も、あちこち移り住んできた。

振り返れば、それぞれの町、それぞれの家に、それぞれの思い出がある。とはいえ、記憶はかなり薄れてきていて、細かい道筋や住宅の配置など、かなりあやしい。

その点、四方田犬彦さんの記憶力、また再現力はすごい。明治学院大教授で映画史の教鞭をとる四方田さんには、自らが住んだ町を舞台にした『月島物語』(集英社)や『月島物語ふたたび』(工作舎)などの著書があるが、『四方田犬彦の引っ越し人生』(交通新聞社)は、少年時代からの「引越し体験」と「住んだ町と家の記憶」を綴ったものだ。

この本を書いた55歳の時点で、海外も含め17回も住まいを変えていた四方田さんだが、一番興味深く読ませてもらったのは、1970年代の渋谷界隈をめぐる記述だ。「区役所通り」が、いつの間にか「公園通り」になっていった頃・・・。

それは、1973年に上京し、東横線沿線に住んでいた当時の学生としては当然で、銀座も新宿も、もちろん池袋もあまり馴染みがなく、「街」といえば渋谷だったのだ。このころに、渋谷のどこかで、そう、大盛堂の本屋さんとか、駅裏の古本屋さんとかで、少し年長の大学生である四方田さんとすれ違っていても不思議ではない。

ある町に暮らしたり、ある家に住んだりすることが、都会では、かなり偶然性による部分が大きい。「たまたま」ってやつだ。ところが、後から思うと、その町、その家で暮らしたことが、自分に小さくない影響を与えていたりする。この本を読んでいて、数十年ぶりで、以前住んでいた場所を訪ねてみたくなった。

週刊朝日の特集「2016 お騒がせな人々」で解説 (その2)

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週刊朝日の特集記事「2016 お騒がせな人々」で解説しました。

そのパート2です。

年忘れワイド 
2016 お騒がせな人々
円楽、宮崎元議員…
不倫で離婚しないのはもっともキツい制裁?
著名人の不倫が多々発覚した2016年。そのなかで報道陣を「さすが」とうならせたのは三遊亭円楽だ。

6月に一般女性との不倫が発覚、その後の囲み会見は独演会のようだった。

「軽率な行動」と全面的に不倫を認め、「身から出たさびだと妻に伝えると『さびも味になる』と言われた」と涙。報道陣から謎かけを頼まれると「今回の騒動とかけまして、今東京湾を出ていった船と解きます。その心は航海(後悔)の真っ最中」とキメた。

「いろんな意味の遊びが、落語という文化を支えている。師匠がその共通認識に上手に触れたので笑って終わることができた。地に足のついたしゃれっ気でうまかった」(上智大学の碓井広義教授[メディア論])

円楽は離婚もせずに仕事も順調。ところが、だ。12月になって、この3月に群馬の釈迦尊寺の住職の誘いを受けて「出家」していたことが判明。僧名は「楽峰圓生(らくほうえんしょう)」で、大名跡、三遊亭円生の名を「襲名」した。師匠は取材に対し「(出家は)邪魔にならない。出家後の変化はない」と答えたが、不倫発覚は出家後の6月。出家は世俗を離れ修行の道に専念することを意味するはずだが、煩悩を捨て切れなかった?

歌舞伎界では、10月に八代目中村芝翫を襲名する直前の中村橋之助の不倫が発覚。相手は京都の人気芸妓・市さよで、妻の三田寛子と面識があり、浮気現場が三田との結婚披露宴会場のホテルだったから、さあ大変。「不徳の致すところ」と8回も繰り返した橋之助の謝罪会見の2日後、三田が雨の中、稽古場の前で「いま一度夫婦で立ち返ってよく考える時間を神様に与えていただいた」と柔和に対応。

「歌舞伎役者の浮気はまあ仕方ないという(世間の)思いに、梨園(りえん)の妻の見事なフォローが上乗せされて、これ以上つっこむのをやめようという感じになった」(碓井教授)

卑屈にならず、梨園の妻として本物感があった、というのだ。

一方で、こんな意見も。

「夫に浮気されたら、もうちょい感情ぶつけようよ(笑)。自分を主語にせず『主人が』と言える女でないと梨園では通用しないということがよくわかったわねー」(テレビウォッチャーの吉田潮さん)

とにもかくにも三田の神対応で修羅場を乗り越え、東京での襲名興行は無事に成功。同時に襲名した3人の息子は、父の不徳の“背中”はどうかまねしないでほしい。

政界でトップ・オブ・ゲスに君臨したのは前衆院議員の宮崎謙介氏。妻で衆院議員の金子恵美氏の出産を前に元グラビアアイドルと不倫をし、人間としての欲が勝ったと言い訳をした。宮崎氏は現在、都内で会社経営に携わっているとか。吉田さんは言う。

「離婚しないで針のむしろで生きるっていうのは、奥さんが制裁を与えるパターンでもっともキツく、なかなかいい(笑)。妊娠中に不倫された例ではゆうこりんこと小倉優子もいるけど、キャラとしてはプラスになる。ママタレ界は戦国時代、被害を被った方が支持されるから」

不倫の“豊作”とも言える今年。最後は、吉田さんに〆てもらおう。

「ネタに感謝。ありがとう、著名人!」

(週刊朝日 2016年12月30日号)


産経新聞で、SMAP最後の「スマスマ」についてコメント

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産経新聞で、SMAP最後の「スマスマ」についてコメントしました。


SMAP 永遠ノムコウに
最後の「スマスマ」録画出演 
見納め 感謝と惜別 
年内で解散する国民的グループ、SMAPの冠番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)が26日、最終回を迎え、メンバー全員のそろった姿が見納めとなった。過去の名場面が放送された後、事前に収録された代表曲「世界に一つだけの花」がラストステージとなった。

5人の生出演はなかったが、番組終盤、SMAPとして「スマスマ20年、そしてグループ活動28年、みなさまの気持ちに、深く感謝いたします。ありがとうございました」とのメッセージが画面上に表示された。

花に囲まれたスタジオで「世界に-」を歌い終えた後、5人は並んで深々と頭を下げた。中居正広さん(44)は後ろを向き、肩を震わせて目元をぬぐった。木村拓哉さん(44)、稲垣吾郎さん(43)、草なぎ剛さん(42)、香取慎吾さん(39)もそれぞれ神妙な表情を浮かべ、ファンへの感謝をにじませていた。

■最後の「スマスマ」 見納め…感謝と惜別

「SMAPは日本のライフライン」「またいつか5人に会えると信じて待っています」。「SMAP×SMAP」最終回では、番組に寄せられたファンのファクスが続々と画面で紹介された。21日発売のベスト盤「SMAP 25 YEARS」は出荷枚数でミリオン(100万枚)を突破。国民的グループへの感謝と解散を惜しむ“SMAPロス”が広がった。

番組は平成8年4月に始まり、20年9カ月にわたって放送。ゲストに手料理を振る舞う「ビストロSMAP」などの人気コーナーが相次いで生まれ、最高平均視聴率は14年1月14日の34・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。最終回では、メンバーの脱退や不祥事からの復帰など、節目となる場面も放送された。

東京・渋谷のスクランブル交差点沿いのビルにはこの日、最終回を伝える看板広告が掲げられ、写真撮影をする通行人の姿も目立った。

上智大の碓井広義教授(メディア論)は「『スマスマ』はドラマや司会など個人の活躍が目立った5人がそろう貴重な番組で、いわばSMAPの『ベース基地』だった。だからこそ多くの人々が解散と番組終了を惜しむのだろう」と話した。

(産経新聞 2016.12.27)

年末特集! 今年出版された、「映画」がもっと楽しくなる本

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本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/columns/1677032


年末特集! 
今年出版された、「映画」がもっと楽しくなる本
2016年もあと数日。ほんと、早いですねえ。年齢を重ねるごとに、1年が過ぎるのが加速度的に早くなっているような気がします(笑)。

というわけで、年末でもあり、今年出版されたエンタメ関係の“オススメ本”を紹介してみます。今回のジャンルは「映画」にしました。


『健さんと文太 映画プロデューサーの仕事論』
日下部五朗 (光文社新書)

今も週に1度は映画館のスクリーンと向き合うが、最も映画館に通ったのは70年代の学生時代だ。ただし、封切りを観るのはバイト代を手にした直後のみ。普段は二番館や三番館、そして名画座が定番だった。特に、数百円で2、3本の映画を観ることができる名画座は、学生には有難かった。

おかげで小中学生の頃に公開された高倉健の任侠映画も、オールナイトの特集でほぼ全作を追いかけることができた。

思えば60年代の後半の東映は、『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』という3つのシリーズを同時進行で製作していたのだから、健さんも、東映も尋常ではない。いや、狂気の沙汰だ。

一方、73年に始まった『仁義なき戦い』シリーズはリアルタイムで観ている。映画館いっぱいに罵声と銃声が響き渡っていた。菅原文太は本物のやくざじゃないかと思ったものだ。

毎回スクリーンに映し出される筆文字で、「日下部五朗(くさかべ ごろう)」という、どこか凄味のある名前を覚えてしまった。こんなトンデモナイ映画ばかり作るのは、一体どんな人なのかと想像していたが、やはりトンデモナイ人(もちろん褒め言葉です)だったことが本書でわかる。

著者は、「プロデューサーは自分のコントロールできない監督、俳優と組んではいけない」と言う。何より「自分の意志が通せるかどうか」が問題なのだと。そこにあるのは、映画はプロデューサーが作る、という自負と自信だ。

こういう人物が語る高倉健や菅原文太が、面白くないわけがない。「健さんが制服の男とすれば、さしずめ文太は普段着の男」などと、さらりと言ってのける。ここでは紹介できないような秘蔵エピソードも満載だ。


『映画を撮りながら考えたこと』
是枝裕和  (ミシマ社)

『幻の光』で監督デビューして21年。今年公開された『海よりもまだ深く』は、是枝監督にとって12作目にあたる。本書は、テレビディレクター時代から現在までの取り組みを自ら総括する一冊。時に「ドキュメンタリー的」と評される作品が生まれる背景が興味深い。独自の創作・表現論でもある。


『ダルトン・トランボ~ハリウッドのブラックリストに挙げられた男』
ジェニファー ワーナー:著、梓澤登 :訳 (七つ森書館)

第二次大戦後、ハリウッドで吹き荒れた赤狩り旋風。売れっ子脚本家だったトランボも直撃を受け、仕事を奪われた。しかし彼は偽名で傑作を書き続け、『ローマの休日』などで2度アカデミー賞を受ける。あふれる才能と不屈の精神。闘い続けた男の70年の生涯は、この本を原作に映画化され(『トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男』)、日本でも今年公開された。


『「世界のクロサワ」をプロデュースした男』
鈴木義昭 (山川出版社)

『生きる』、『七人の侍』など数々の黒澤明監督作品で、プロデューサーを務めたのが本木荘二郎だ。しかし、黒澤自身が語りたがらなかったこともあり(その理由は本書で)、日本映画の“正史”から置き去りにされてきた。この本は、本木の初の本格評伝であり、起伏に富んだ映画人の軌跡を明らかにする労作だ。高校時代にお世話になった“歴史と教科書の山川出版社”から出たことも、何やら嬉しい。


『鬼才 五社英雄の生涯』
春日太一 (文春新書)

1960年代に、『三匹の侍』(フジテレビ系)でテレビ時代劇の既成概念を打ち破り、80年代には、『鬼龍院花子の生涯』『極道の妻たち』などの大ヒット映画を生んだ五社英雄監督。毀誉褒貶の激しい63年の人生を、作品分析、本人の言葉、そして取材による事実の掘り起こしで見事に再構築した、熱い快作である。


『いつかギラギラする日~角川春樹の映画革命』
角川春樹、清水節 (角川春樹事務所)

つい最近も、カップヌードルのCMが見事なパロディにしていた映画『犬神家の一族』。その公開から40年が過ぎて、「製作者・角川春樹」も74歳となった。本書は70本にもおよぶ「角川映画」の流れをたどり、その意味を探るノンフィクションだ。元々は書籍の販売戦略だった映画製作が、目的を超えた文化運動へと転化し、やがて時代を動かしていくプロセスが明かされる。


『最も危険なアメリカ映画~「國民の創生」から「バック・トゥ・ザ・フューチャー」まで』
町山智浩 (集英社インターナショナル)

映画は社会の“合わせ鏡”だ。テーマや内容は、そのときどきの時代や社会を映し出している。たとえ、それが隠されたものであっても。著者は過去のアメリカ映画を検証し、トランプを次期大統領に選んだ国の本質に迫っていく。中でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が、意図して“描かなかったこと”の分析は出色。どの作品も見直したくなること必至だ。


『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー~特撮映画・SFジャンル形成史』
森下 達 (青弓社)

大ヒットが続いている『君の名は。』と並んで、今年の映画界を席巻した感のある『シン・ゴジラ』。62年前の『ゴジラ』公開から現在まで、「特撮映画」とその解釈はいかに変遷してきたのか。気鋭の研究者である著者は、SFという文化と交差させながら、「非政治性」をキーワードに解読していく。

「TV見るべきものは!!」年末拡大版~2016年のテレビ界

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日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今回は、年末拡大版ということで、この1年を総括しました。


TV見るべきものは!! 年末拡大版

高市総務相が「電波停止」発言を
撤回していないことを忘れるべきではない
今年2月、衆院予算委員会で高市早苗総務大臣が、政治的に公平性を欠くと判断した場合の「電波停止」に言及した。確かに総務大臣は電波停止の権限をもつ。しかし、放送の政治的公平をめぐる議論の場で、その権限の行使を強調したこと自体、放送局に対する一種の恫喝(どうかつ)であり圧力だ。

放送法第4条の「政治的公平」の原則が政治の介入を防ぐための規定であることを踏まえ、政権のメディアに対する姿勢があらためて問われた。しかも現在に至るまで、高市総務相がこの発言を撤回していないことを忘れるべきではない。

続いて3月には、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター、TBS系「NEWS23」の岸井成格アンカー、そしてテレビ朝日系「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターの3人が降板した。いずれも毀誉褒貶(きよほうへん)はあるものの、特定秘密保護法、安全保障関連法など、この国のかたちを変えようとする政治の流れの危うさを、テレビを通じて伝え続けた人たちであることは事実だ。

こうした“もの言うキャスター”が時を同じくして画面から消えたことは、政権が目指すメディア・コントロールの“成果”でもある。実際に各局の報道番組はマイルドになり、たとえば南スーダンへの自衛隊「駆けつけ警護」などについても、本質に迫る報道が行われているとはいえない。来年は今年以上に、報道番組が何をどう伝え、また何を伝えないのかを注視していく必要がある。

■断然光った「逃げ恥」

ドラマでは、先日最終回を迎えたばかりの「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)が断然光った。今どきの恋愛・結婚観というテーマへのアプローチの仕方が秀逸で、エンディングの“恋ダンス”も人気となり社会現象化した。同じTBS系では、漫画家の世界やコミック誌の現場をのぞかせてくれた黒木華主演「重版出来!」(脚本は「逃げ恥」の野木亜紀子)、前田敦子が新境地を開いた「毒島ゆり子のせきらら日記」なども挙げたい。

また、石原さとみ主演「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」(日本テレビ系)は、出版社の校閲部という舞台設定が新鮮だった。石原のファッションがインスタグラムなどSNSを通じて話題となり、若い女性たちを番組へと誘導した。この秋から、テレビ番組を録画で見る「タイムシフト視聴」の本格的調査・運用が始まったが、「地味スゴ」は、「逃げ恥」と並んで録画視聴の多さが目立ったドラマだ。

深夜枠ながら存在感を見せた「黒い十人の女」(日本テレビ系)は、市川崑監督が半世紀前に映画化した作品の現代版リメークだ。TVプロデューサー(船越英一郎)が抱える9人の愛人と妻(若村麻由美、快演)、合わせて10人の女たちの“たくましさ”がリアルで笑えた。

最後にNHKだが、大河ドラマ「真田丸」は三谷幸喜の脚本が功を奏した。全体は、いわば“三谷流講談”であり、虚実ない交ぜの面白さがあった。真田信繁(堺雅人、好演)をはじめとする登場人物たちのキャラクターも含め、歴史の真相は誰にも分からない。史実を足場に、ドラマ的ジャンプを試みた三谷に拍手を送りたい。

来年の「井伊直虎」は、近年ではすっかり鬼門となった、女性が主人公の大河である。1年後、「あれは杞憂だった」と言える内容と出来であることを祈るばかりだ。

(日刊ゲンダイ 2016.12.28)

北海道新聞「2016年回顧 放送」で解説

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北海道新聞の特集記事「2016年回顧 放送」で、解説しました。


2016年回顧 放送
キャスター退任 報道の後退危惧
昨年来、政府や政治家から放送局への圧力とも取れる発言が続いている。2月に高市早苗総務相が、政治的に公平性を欠くと判断した放送局へ停波を命令す る可能性に言及し、民放の番組キャスター6人がこれに「表現の自由を保障する 憲法や放送法の精神に反する」と抗議する声明を出した。そんな中で3月、 NHKで23年間続いた国谷裕子キャスターの「クローズアップ現代」が終了。 TBS-HBC「NEWS23」から岸井成格アンカー、テレビ朝日-HTB 「報道ステーション」から古舘伊知郎キャスターが退任した。

いずれも鋭い批評で知られた3氏だけに、本紙に「放送時評」を寄せている上智大文学部新聞学科の碓井広義教授(メディア論)は「これでいいのか、と突っ込んで視聴者に考えさせるジャーナリズムが後退し、ニュース番組は政府が決めた結果を知らせるだけにならないか」と危惧する。「局のトップが口を出さなくても現場で『面倒が起きそうな報道はやめよう』と自主規制するようになれば、それは政権のメディアコントロール成功を意味する」と言い、放送が立ち位置を 固め直すことを期待する。

調査会社ビデオリサーチは関東地区で10月、リアルタイムの視聴率だけでなく録画した番組の再生も反映した「総合視聴率」の集計を始めた。また、NHKは地上波放送を2019年からネットで常時同時配信する方針を表明した。膨大なコンテンツを自由に見られる動画配信サービスが浸透する中で、出版界に電子書籍が登場したような変革の波が放送にも訪れている。

変革の姿勢を最も感じさせるチャンネルとして、碓井教授はNHKEテレを挙げる。障害者やマイノリティーのための情報バラエティー「バリバラ」では8月、民放のチャリティー特番に対し、障害者を使った〝感動ポルノ〟ではないかと疑問を提示。また、新トーク番組「ねほりんぱほりん」は痴漢冤罪経験者などさまざまな人たちの本音を人形劇の形で引き出すユニークな作りで注目された。「11年に教育テレビから呼称が変わり、総合でもBSでもない独特なポジションで挑戦的な番組を作ってきた努力が花開いている」と評価する。

ほか、話題を呼んだ番組では放送開始50周年の日本テレビ-STV「笑点」が司会を桂歌丸から春風亭昇太へ交代し、今後も番組が続くことを宣言した。NHKの大河ドラマ「真田丸」は史実に基づきながら大胆な省略やユーモアを交える三谷幸喜の脚本が光った一方、連続テレビ小説は「あさが来た」「とと姉ちゃん」「べっぴんさん」と実在人物がモデルの路線で人気を堅持。第4シリーズとなったテレビ朝日―HTB「ドクターX~外科医・大門未知子」は新たな登場人物を加えて高視聴率を保ち、TBS-HBC「逃げるは恥だが役に立つ」は、今どきの結婚観というテーマとエンディングの〝恋ダンス〟人気で社会現象化した。

道内局では、UHBが7月の参院選と今月の日ロ首脳会談に合わせ、テレビ番組と並行してネット独自の特番を制作して道外でも話題となった。ラジオでは、HBCとSTVが石狩管内とその近郊でワイドFM放送を開始。一方、地方ラジオ局の深夜番組では全国最長寿の45年半に及んだSTV「アタックヤング」と、韓流ブームに先駆けて韓国のポップスを15年間伝え続けたFMノースウェーブ「ビーツオブコリア」がともに3月で終了した。

テレビの黎明期から活躍した放送作家の永六輔さん、はかま満緒さん、名司会で知られた大橋巨泉さん、小川宏さんが亡くなった。(渡部 淳)

(北海道新聞 2016.12.28)


毎日新聞で、「紅白歌合戦」についてコメント

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毎日新聞で、「紅白歌合戦」についてコメントしました。


紅白歌合戦
強まるバラエティー色、狙いは視聴率回復?
大みそかに放送される第67回NHK紅白歌合戦。昨年は8年ぶりに、1、2部ともに視聴率が30%台にとどまった(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。今年は、目玉のSMAP出演はかなわなかったが、バラエティー色をさらに強めて人気回復を図る構えだが、成否はいかに--。

30日、会場となる東京都渋谷区のNHKホールでリハーサルがあり、出場歌手が取材に応じた。東京都庁前から中継で出場するTOKIOの国分太一さん(42)は「NHKホールでは見せられないようなパフォーマンスとエンターテインメント性を見せられると思う」と自信を見せた。

出場歌手は全46組。矢島良チーフプロデューサーは選考基準を「今年の活躍、世論の支持、番組の企画演出に合致する歌手」と説明するが、国民的ヒットソングが少ない中、基準が見えにくくなっている。うち6組がメドレーを歌い、デビュー曲での出場もある。

一方、企画枠では今年海外で注目されたタレントの渡辺直美さんと「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」のピコ太郎さんがショーを披露。人気映画「シン・ゴジラ」も登場し、タモリさん、マツコ・デラックスさんもゲスト出演する。

審査員でも話題作りに余念がない。出場歌手の一人、星野源さんとドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS)でカップルを演じ、注目を集めた俳優の新垣結衣さんを選んだ。

こうした番組の変化について碓井広義上智大教授(メディア論)は「今年の活躍が明確ではない歌手は選ばないという努力は見られる」と評価する一方で「番組の哲学がなく、バラエティーなのか歌番組なのかわからない」と指摘する。

バラエティー色を強めていることについて矢島氏は「1年を締めくくる歌の祭典だが、テレビの祭典でもある。いろいろな要素から今年はこういう1年だったと振り返ってもらいたい」と話している。

放送は、総合テレビとラジオ第1で31日午後7時15分から。【須藤唯哉】

(毎日新聞 2016.12.30)

NEWSポストセブンで、「TVマンと芸能人の結婚」について・・・

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NEWSポストセブンで、「テレビマンと芸能人の結婚」について話しました。

TVマンは芸能人と結婚できるって本当? 
照明マンはモテる説も
今年も芸能界でさまざまなカップルが結婚した。芸能人同士がやはり多いが、少数だが毎年、必ずいるのが女優や女性タレントとテレビ関係者との結婚だ。今年6月には、アイドリング!!!の元メンバー、谷澤恵里香(25)がテレビ制作会社に勤務する男性との結婚を発表した。2015年にはキンタロー。(34)が、11年にはギャル曽根(30)が、谷澤同様に制作会社勤務の男性と結婚している。シェリー(32)も14年に日本テレビの社員と結婚した。

このような話を聞いて、「芸能人と付き合うためにテレビマンになるぞ!」と思う若者がどれほどいるかは分からないが、実際によくある話なのか、気になるところではある。

元テレビプロデューサーで上智大学教授(メディア論)の碓井広義さんに尋ねてみた。

「一般論として、打ち合わせやリハーサル、本番、さらに番組によってはロケやナレーションなど、ある期間に濃密な時間を過ごすスタッフと出演者が親しくなりやすいということはいえます。実際に、誰と誰が付き合っているという話を聞くこともありました。女性スタッフは少ないこともあり、いずれも男性スタッフ、女性芸能人という組み合わせです。

私の身近なところでは、当時は局アナなのでまだ芸能人ではありませんでしたが、私が参加していた制作会社『テレビマンユニオン』の後輩ディレクターが元TBSの小島慶子さん(43)と結婚しました。背が高く、筋肉質でハンサムな男です。私とは年が離れているので詳しく聞いたわけではありませんが、同社が制作している『世界ふしぎ発見!』(TBS系)のミステリーハンターとして小島さんが出演していたこともあり、その縁で仲良くなったのでしょう。

『ふしぎ発見!』のロケでは、一週間くらいかけてジャングルの奥地に行くようなこともあります。通常、ロケのメンバーは、ディレクター、AD、カメラ、音声、ビデオエンジニアの5人くらいで、そこに出演者やその関係者が加わりますが、小島さんのような局アナの場合は通常一人で参加します。不慣れな土地で行動をともにした時に、小島さんが『頼れる人だな』と思ったのかもしれませんね」(碓井広義さん・以下「」内同)

二人のように結婚に至ればメデタシだが、一般企業でいえば男性社員が取引先の女性に手を出すようなもので、会社にとってはリスクも高い。恋愛禁止を通達されることはないのだろうか。

「決まりとしては聞いたことがありませんが、『商品に手を出すな』というのは暗黙のルールとしてあります。ただ、業界には女性芸能人と付き合うのを男の勲章と見る風潮もあり、破ったからといって悪く言われることもありません。

もちろん、暗黙のルールを守る人も多いですよ。私も地方ロケなどの際に、女性芸能人が同じホテルに泊まっていても、打ち合わせがあるからといって部屋に行くようなことは絶対にしませんでした。出来るだけオープンな場でやり取りしました」

基本的には自由恋愛ということだが、テレビマンと恋に落ちる女性芸能人はいずれもタレント。女優とは縁がないのだろうか。

「ドラマの撮影中はスタッフも常にバタバタしているので、女優さんと話せる機会はほとんどありません。女優さんの場合は待ち時間が長いので、共演俳優と仲良くなりやすいですね」

6月に結婚を発表した優香(35)と青木崇高(36)もドラマ共演がきっかけだ。女優狙いはハードルが高いといえそうだが、そんな中でも女優にモテる職種があるのだという。

「知り合いの照明マンが、ある女優さんと結婚しました。残念ながらその後、二人は離婚してしまいましたが、照明マンがモテるのには理由があります。10代20代の若い女優さんは、どんなふうに撮ってもきれいに映りますが、30代になると、照明一つで美しさがまるで違います。女優さんにとって、自分が美しく映るかどうかは照明マン次第なのです。私の知人は、その女優さんを美しく見せるためにひたすらいい照明を当て続けました。彼女も『いつも私にいい照明が当たっている』と感じて好意に気づいたのかもしれません。

恋愛までいかなくても、女優は照明マンに好かれていないといけないので、現場で女優からの差し入れが一番多いのも、照明部門でした(笑い)」

恋愛も職業選択も、個人の自由。どうぞご参考までに。

(NEWSポストセブン 2016.12.29)


「SMAPノムコウ」にも、きっと何かが待っている

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オピニオンサイト「iRONNA」に、SMAP解散について、以下のコラムを寄稿しました。


「SMAPノムコウ」にも、
きっと何かが待っている
2016年12月31日をもって、解散することになったSMAP。あらためて、その軌跡を振り返り、また彼らの今後について考えてみたい。

SMAPが結成されたのは1988(昭和63)年である。翌89年1月には、年号が昭和から平成へと変わった。SMAPは昭和最後の年に誕生したアイドルグループなのだ。

CDデビューが91年。この年は、いわゆる“バブル崩壊”の年であり、そこから「失われた20年」とか、「失われた25年」などといわれる年月が始まった。つまり実質的には25年間の活動だったSMAPは、“平成という名の長い低成長期”と共に歩んできたわけだ。

そんなグループが、天皇の譲位が話題となってきた今、解散する。そう聞けば、「時代の変わり目」といった言葉をつい連想してしまう。確かに、“ひとつの時代”の終幕を象徴する出来事なのかもしれない。

また、多くのヒット曲を持つSMAPだが、彼らの「シングル売上げランキング」のトップ10を見ていると、意外に思うことがある。

1位の「世界に一つだけの花」(2003年)と、3位の「ライオンハート」(00年)の2曲を除けば、他は第2位の「夜空ノムコウ」をはじめ全てが90年代の楽曲なのである。音楽的なピークは90年代だったとも言えるのだ。

それにも関わらず、現在までSMAPとして存続してこられたのは、5人それぞれが単独活動も可能な才能を持っていたからであり、その集合体としてのグループが輝いていたからだ。

2017年から、「SMAPのいない芸能界」、そして「SMAP不在の時代」が始まる。寂しいことではあるが、ファンはもちろん、業界もまた受け入れるしかない。そして、慣れていくしかない。

その一方で、5人の新たな活躍を見る楽しみが待っていると思いたい。ただし、乱暴な予想としては、5人とも「ソロ歌手」という選択はしないだろう。音楽的に、個人でSMAPの実績を超えるのは、かなり難しい。むしろ音楽以外の場、タレントや俳優としての活動が中心になるはずだ。

キムタクドラマから木村拓哉ドラマへ

まずは木村拓哉だが、今後、ますます演技力に磨きをかけるだろう。その萌芽は、すでに2015年春のドラマ『アイムホーム』(テレビ朝日系)にあった。これは、いわゆる“キムタクドラマ”ではなかったのだ。脚本も演出も脇役も、ひたすら木村をカッコよく見せることだけに奉仕するのがキムタクドラマなら、この作品は違った。そこにいたのは“キムタク”ではなく、一人の俳優としての“木村拓哉”だった。

主人公は、事故で過去5年の記憶を失った家路久(木村)。なぜか妻(上戸彩)や息子の顔が白い仮面に見えてしまう。彼らへの愛情にも確信がもてない。その一方で、元妻(水野美紀)と娘に強い未練をもつ自分に戸惑っている。

原作は石坂啓の漫画で、仮面が邪魔して家族の感情が読み取れないというアイデアが秀逸だった。その不気味さと怖さはドラマで倍化しており、見る側を家路に感情移入させる装置にもなっていた。

自分は元々家庭や職場でどんな人間だったのか。なぜ結婚し、離婚し、新たな家族を持ったのか。知りたい。でも、知るのが怖い。そんな不安定な立場と複雑な心境に陥ったフツーの男を、木村拓哉がキムタクを封印して誠実に演じたのが、このドラマだ。

何より木村が、夫であり父でもあるという実年齢相応の役柄に挑戦し、きちんと造形していたことを評価したい。今後は、顔の細部を動かすようなテレビ的演技だけでなく、たたずまいも含め、全身で表現できる役者を目指してもらいたいと思う。

年明け早々に始まる医療ドラマ、TBS日曜劇場『A LIFE〜愛しき人〜』が、旧来の“キムタクドラマ”の延長にあるのか、それとも“木村拓哉ドラマ”の確立となるのか。当面の試金石だろう。

俳優・草彅剛とMC・稲垣吾郎の展開

木村と同様、俳優としての才能を生かしそうなのが草彅剛だ。2016年1月クールに放送された『スペシャリスト Specialist』(テレビ朝日系)に注目したい。

無実の罪で10年間服役していた刑事・宅間(草彅)という設定が意表をついていた。刑務所で学んだ犯罪者の手口や心理など、いわば“生きたデータ”が彼の武器だ。

草彅は、飄々としていながら洞察力に秀でた主人公を好演。また、ひと癖ある上司(吹越満)や、勝手に動き回る宅間に振り回される女性刑事(夏菜)など、脇役陣との連携も巧みだった。

年明けの1月クール、草彅は『嘘の戦争』(フジテレビ系)で主演を務める。冤罪だった父親のために詐欺師となって復讐を果たす男の役だ。誠実そうな風貌の草彅だからこそのキャスティングであり、そのギャップをどれだけ見せられるかが勝負だ。

3人目は稲垣吾郎である。三谷幸喜監督『笑の大学』(2004年)や三池崇史監督『十三人の刺客』(2010年)、また今年春のドラマ『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)などが印象に残る。いずれも、いわゆる主演ではないものの、しっかりと存在感を示していた。

中でも、『十三人の刺客』が強烈だった。稲垣は役所広司たち刺客の敵であり、悪役である将軍の弟。この“狂気の人”を、想像以上の迫力で見事に演じていたのだ。今後も、稲垣の持ち味を生かせる役柄であれば、主役・脇役を問わず出演すべきだと思う。

また同時に、ブックバラエティ『ゴロウ・デラックス』(TBS系)で見せる、実に自然体なMCがとても魅力的だ。今月放送された、みうらじゅんと宮藤官九郎がゲストの前後編でも、これだけ個性の強い面々を相手に、自分を見失わず、しかも自分の性癖さえ適度にはさみみ込みながらトークを展開していた。これは立派な才能であり、今後はもっと活用すべきだ。

不透明な香取慎吾と、中居正広の「兄貴路線」

そして香取慎吾だが、実は5人の中で、今後が一番見えにくい。NHK大河ドラマ『新選組!』(2004年)や、『薔薇のない花屋』(2008年、フジテレビ系)での好演は記憶にあるが、2016年夏のTBS日曜劇場『家族ノカタチ』は、あまり感心できなかった。

繰り返される「結婚できないんじゃなくてしないんだ」という台詞が象徴するように、こだわりが強くて独身ライフを謳歌(おうか)しているという設定が、阿部寛主演の『結婚できない男』(フジテレビ系)とイメージがダブったのは仕方ないにしても、香取演じる独身男は、他人を拒否し、いつもイライラしていて不機嫌な人にしか見えなかった。

もちろん脚本や演出に従っただけかもしれないが、香取が俳優としてどのように進んでいきたいのかが、見る側に伝わってこなかったのだ。

あとは、テレビ朝日系『SmaSTATION!!』(スマステーション!!)のようなバラエティーということになるが、今回のSMAP解散への過程を経て、どこか香取自身が以前と比べて楽しんでいるように見えない。むしろ痛々しささえ感じてしまい、視聴者側も手放しで楽しめなくなっている。年が明けたら気分を一新し、今後の方向性を打ち出していって欲しい。

最後は中居正広だ。ドラマ『ATARU』(2012年、TBS系)は、主人公の特異なキャラクターが功を奏して適役だった。しかし、その後の『新ナニワ金融道』(2015年、フジテレビ系)などでの演技は、あまり進化しているように見えず、困った。

恐らく今後も、俳優としてより、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)など自身の冠バラエティーで活躍していくのではないか。今年、「ベッキー復帰問題」で見せた、芸能界の“ちょっとヤンチャな愛すべき兄貴”といったポジションも悪くないだろう。ただし、キャリアとしては実質的な大物になっているだけに、逆に大物風の言動にならないよう、気をつけたい。

SMAPノムコウ

2016年1月、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で行われた異様な“生謝罪”に象徴される、後味の悪い独立騒動。そして、どこかスッキリしないまま、終幕を迎えた解散劇。

この1年で、5人のイメージは明らかにダメージを受けた。かつてのように、素直に彼らを見て楽しめない“しこり”が残ってしまった。どんなに取り繕っても、それは事実だ。

今後、5人はそれぞれに、この現実を踏まえて芸能活動を行っていくことになる。いや、実際の活動を通じて、イメージを回復し、しこりを解消していこうと努力するだろう。

“夜空ノムコウ”には明日が待っていたが、“SMAPノムコウ”にも、きっと何かが待っているはずだ。たとえそれが、「あのころの未来」とは違っていたとしても。

(iRONNA 2016.12.31)


【気まぐれ写真館】 信州から謹賀新年 2017.01.01

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故郷の信州から、
謹賀新年です。

2017年も
どうぞよろしく
お願いいたします!


碓井 広義

「子役」が抱える問題は、すべての子どもの問題でもある

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本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/reviews/1677149


「子役」が抱える問題は、
すべての子どもの問題でもある
2001年に、『マリオスクール』(テレビ東京系で放送)という番組をプロデュースしていた。

司会が、渡辺徹さんとこずえ鈴(りん)チャン。毎回、マリオバディ(バディは相棒の意味)と名づけた複数の子どもたちが、ゲームをしたり(任天堂の一社提供だった)、様々な挑戦(カトリーヌあやこサンにイラストを習ったり)をしていた。私の狙いとしては、テレビの中に<架空の学校>を作ってみようと思ったのだ。

この番組を始める際、マリオバディとして出演する子どもたちを、オーディションで選んだ。対象は、小学校高学年から中学生までの男女。集まった子どもたちの中には、すでに「子役」としてドラマやCMで見たことのある顔もあったし、これが「子役」としての初オーディションという子もいた。できるだけ、まっさらな”新人”を選んだ。

彼らは、収録を重ねるごとに、本当のクラスメートのような、仲間のような雰囲気になっていき、最後の頃は立派なユニットとして画面の中で生き生きと動いていた。そう、彼らは番組を通じて「プロ」になっていったのだ。

ちなみに、この時のマリオバディの一人が、『涼宮ハルヒの憂鬱』などの声優として人気者となった平野綾さんである。元気な笑顔の13歳だった「アヤちゃん」も、今は29歳のオトナだもんなあ(笑)。

かつての「天才子役たち」と、かつての「天才子役」が対談するという、ちょっと変わった本がある。中山千夏『ぼくらが子役だったとき』(金曜日)だ。

ただし、年齢的に、私は千夏さんの子役時代の舞台もドラマも見ていない。私にとって最初の<ちなっちゃん>は、1960年代の人形劇『ひょっこりひょうたん島』(NHK)の天才少年・ハカセの声だ。ハカセ、懐かしいねえ。

その後は、突然、70年代。学生時代の愛読誌の一つ『話の特集』で”再会”する。それから、『話の特集』が母体みたいな政治団体「革新自由連合」の活動が始まり、千夏さんは革自連の闘士(?)といった感じ。80年には参議院議員になっちゃった。現在は著述家であり、市民運動家でもある。

さて、対談集『ぼくらが子役だったとき』。

ここには、14人の元「子役」が登場する。松島トモ子・小林綾子・長門裕之・浜田光夫・四方晴美・柳家花緑・小林幸子・和泉雅子・水谷豊・風間杜夫・矢田稔・弘田三枝子・和泉淳子・梅沢富美男。豪華メンバーだ。

リアルタイムで子役として知っているのは、四方晴美、水谷豊、小林綾子あたりだろうか。だが、直接その子役姿を見ていない人たちの話も面白い。

特に、「オトナばかりの中で働く、(普通の)子どもらしからぬコドモ」という共通点はあるものの、彼らがオトナをどう見ていて、自分というコドモをどう感じていたかという点は、意外や結構ばらばらだった、というところだ。

千夏さんによれば、子役とは「オトナ社会を子どもが生きる体験」である。この対談集で語られていることのいくつかは、「実年齢よりも幼い」と言われてしまう昨今の「新社会人」や「新人君」が、会社や社会で”体験”していることにも通じるような気がする。ふーむ、新人君は子役だったのか!?

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった「紅白歌合戦」

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2015年の「紅白」は、正体不明の音楽バラエティ!?

前回、2015年のNHK「紅白歌合戦」で目立ったのは、内外のヒットコンテンツの援用だった。民放各局のヒットアニメのテーマ曲が、その映像と共に流された。映画「スター・ウオーズ」の人気キャラクターも登場した。しかし、いずれも演出が凡庸で、サプライズ感も有難味も弱かった。

また、「紅白」では珍しくない、ディズニーのショーも披露された。ミッキーのキレのいいダンスは見事だったが、年始客獲得を狙う東京ディズニーランドのプロモーションにしか見えなかった。さらに吉永小百合も登場したが、主演映画「母と暮せば」の宣伝とのバーター感が強く、がっかりさせられた。

全体として、1年を締めくくる音楽番組というより、正体不明の音楽バラエティという印象だった。

「見たい」と「見せたい」のバランスが絶妙だった2016年

今回は、バラエティ要素にも工夫があった。映画『君の名は。』や『シン・ゴジラ』、ドラマ『逃げ恥』、さらに『PPAP』など、2016年のポピュラーカルチャーを反映したものだという点で、音楽で1年を振り返るという、「紅白」本来の趣旨にも合致していた。

視聴者側には、「こういうものが見たい」という願望がある、つまり「紅白」には「求められているもの」がある。また制作陣には、「こういうものを見せたい」という意志、つまり「創りたいもの」がある。

ひとことで言えば、この「見たいもの=求められているもの」と「見せたいもの=創りたいもの」のバランスが絶妙だったのだ。

たとえば、楽曲とリンクした「ミニ・ドキュメンタリー」とでも呼べるVTRが、いくつか流された。

ゆずの「見上げてごらん夜の星を ~ぼくらのうた~」は、昨年7月に亡くなった永六輔さんが作詞した名曲に、新たな詩とメロディーを加えたものだ。ゆずは、永さんの“親友”である黒柳徹子さんを訪ね、永さんとこの曲について話を聞いていた。

桐谷健太は、奄美大島の小学校や東日本大震災の被災地である石巻市を訪問。その上で、全国各地から集まった歌声と共に、「海の声」を歌い上げた。また、氷川きよしが「白雲の城」を歌った生中継先は、昨年4月の熊本地震で被災した熊本城だった。

司会の有村架純は、昨年夏の台風で大きな被害を受けた岩手県久慈市に行き、復旧活動のボランティアを行ってきた地元の中学生たちと交流していた。同じく司会の相葉雅紀は、1964年の東京オリンピックで、金メダル第1号となった重量挙げの三宅義信さんにインタビュー。昨年がオリンピックイヤーだったこと、また4年後には東京がその舞台となることを思わせた。

これらの「ミニ・ドキュメンタリー」は、短いながらも内容が充実していた。しかも押しつけがましさが希薄だった。オーバーに言えば、「紅白」は見るけど、「NHKスペシャル」や「ETV特集」などはあまり見ないという視聴者にも、2016年がどんな年だったのかを、テレビを通じて再認識させてくれたのだ。

見たことのない「4つのカット」

さらに、映像的に高く評価したい「演出」が、少なくとも4つあった。

まず、郷ひろみと土屋太鳳のダンスのコラボだ。曲の終盤、大サビ以降の50秒間を、「手持ちのワンカット」で押し通した。カメラは2人を追って、ステージ上を自在に動き回った。歌詞やダンスが表現するものを、最大限効果的に見せるための見事なカメラワークだった。

次が、松田聖子とX JAPANのYOSHIKIがコラボしたシーンだ。その2カット目で、ピアノを弾くYOSHIKIの手の向こうに、会場の上段に立つ聖子が見えた。また、エンディング近くでは、逆に聖子の背中側にカメラが回り込んで、聖子越しのYOSHIKIを捉えていた。メインステージの他に歌う場所を設置したことで、画面空間に奥行きが生まれ、それを生かした映像設計がしっかりと行われていたのだ。

3番目は、THE YELLOW MONKEYの「JAM」である。「外国で飛行機が墜ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」(中略)僕は何を思えばいいんだろう」といった歌詞が印象深い。発表されたのは96年。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件があった翌年だ。20年の時を経て、今の時代に、この曲が「紅白」で歌われることの意味は大きい。ステージは濃いブルーで統一された照明で、テレビ画面で「歌詞」が鮮明に読み取れる。メッセージ性の高いこの曲にふさわしい映像だった。

最後は、「2017年、皆さんの夢が叶いますように」と言って歌った、司会の相葉を含む嵐のメドレーだ。2曲目の「Happiness」から、3曲目の「One Love」に移る際の、ステージの美しさが群を抜いていた。荘厳なステンドグラス風から、巨大な緑の樹と青空という明るい背景へ。さらに、他の出演者も登場して、アーティスト越しの観客を見せた。いわば観客との一体感を示す映像だ。その観客には、テレビを通じて見ている多くの視聴者も含まれている。

トリを飾った嵐のステージを見ていて、シンプルだが、「世代交代」という言葉が浮かんだ。それは音楽的にも、それ以外のジャンルでも、同じ12月31日で解散となったSMAPの、かなりの部分を継承していくのは嵐なんだろうなあ、という感慨でもある。

今後の「紅白歌合戦」

音楽に対する趣味・嗜好も多様化し、過去のように、単なる大型音楽番組を目指していけばいい時代ではない。また、昨年までのように、中途半端なバラエティ番組にしてしまうのは、あまりに惜しい。

そんな中で今回の「紅白」は、「見たいもの」と「見せたいもの」のバランスを巧みに保ちながら、「ショー」としての成熟度・洗練度を増していた。おそらく、この方向性の延長に今後の「紅白」があるのだろう。特に、これからの数年は一種の改革期間であり、出場歌手の顔触れも、楽曲の見せ方も、まだまだ大きく変わっていくはずだ。その第1歩として、2016年の「紅白歌合戦」を高く評価したい。

“朝倉かすみワールド”へ、ようこそ!

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本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。

https://shimirubon.jp/columns/1677278


“朝倉かすみワールド”へ、ようこそ!
「朝倉かすみ」という作家の名前を知ったのは、2003年のことだ。もう14年も前になる。

その前年に、北海道にある大学に単身赴任していた。住民票も移して、ちゃんと県民ならぬ北海道民となった。クルマも冬対策で4WDにしたし、新聞も多くの北海道民と同じく、宅配で「道新(北海道新聞)」を取るようになった。

そして2003年、道新で「朝倉かすみ」の名を目にする。小説「コマドリさんのこと」で、第37回「北海道新聞文学賞」を受賞したというのだ。小樽市の女性らしかった。

その「コマドリさんのこと」をちゃんと読めたのは、2005年11月。第72回「小説現代新人賞」を受賞した表題作を含む初作品集『肝、焼ける』(講談社)だ。

表題作の主人公「わたし」は、年下の男と遠距離恋愛中の独身女性31歳。相手の自分への気持ちがつかめない。そんな「肝、焼ける(じれったい)」状態から脱したくなって、男が住む北の町へとやってきた。

会うまでの微妙な時間を過ごす銭湯や寿司屋。これまでの仕事や恋愛の回想が、ほろ苦くも愛しい。そして、ついに男と向き合う瞬間が近づいてくる。

朝倉さんの文体の特長は、短いセンテンスの連打にある。観察と表現に齟齬と遅延がなく、リズムが心地よい。また、ヒロインの眼から見た若い男女、中高年の男女がリアルでユーモラスだ。そして、全作品に共通するのは、30代女性の日常と本音をすくい上げる力の確かさである。新人とはいえ、すでに自分の「ポジション」を持っているのだ。

他には、小さな田舎町の小さな事務所で働く独身女性の心の軌跡を優しく描いた「コマドリさんのこと」(北海道新聞文学賞受賞作)。同僚である40代独身女性たちの恋や不倫を眺めながら、自身も揺れている若い女性がヒロインとなる「一番下の妹」など、いずれも30代女性の“普通の生活”が非凡に描かれている。

「コマドリさんのこと」もよかったが、「肝、焼ける」は、さらに上手い!と思った。新人とは思えないほど、独自の小説世界を巧みに構築していた。こういう嬉しい”出会い”があるから、「本読み屋」はやめられないのだ。


次々と出てくる新刊を読んでいると、ついこの間読んだ本のことさえ忘れてしまいそうになる。『田村はまだか』(光文社)は、2008年の2月に出た本。ちょうど、6年におよんだ北海道の大学への単身赴任が終りを迎え、東京の大学に移る直前だった。ずいぶん懐かしい。

でも、この小説のことは、よく覚えている。とてもよかったからだ。読了後、家族にも薦めたので全員が回し読みしている。実は、朝倉さんの小説の中で、今でも一番好きなのは、この『田村はまだか』である。

深夜、路地の奥にある小さなスナックに5人の男女が集まっている。小学校の同級生で、皆40歳。クラス会の3次会だった。そして彼らは田村を待っている。店に向かっているはずだが、現れない。ふと誰かが口にする。「田村はまだか」・・・。

田村は小学校時代から不思議な男だった。父親はいない。男出入りの激しい母親との二人暮らし。年中ジャージを着て、頭は虎刈り。だが、勉強はできたし走るのも速い。とはいえ、田村が皆から一目置かれていたのは、一人だけどこか大人の風格があったからだ。「孤高の小6」だった。

実に巧妙な小説である。そこにいない田村のことを各人が想い、同時に「忘れられない人」「自分に影響を与えた人」のことを振り返る。それは会社の先輩だったり、年下の“恋人”だったりする。共通するのは「その人がいなければ今の自分はない」と思えるような人物であることだ。深夜のスナック、昨日と今日の境目で、彼らの過去と現在とが交錯していく。それにしても、田村は一体どうしたのか・・・。

朝倉さんの作品の特徴である小気味いい短文の連なりと、深い情感をさりげない言葉に託す表現に、益々磨きがかかっている。


『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞を受賞した後に出た、朝倉さんの長編小説が『感応連鎖』(講談社)だ。例によって、男からはうかがい知れない、女たちの内なる葛藤のドラマが描かれている。

登場するのは4人の女性だ。節子は子ども時代からの肥満体。顔も大きい。周囲に自分を「異形」と認識させることで、いじめから逃れてきた。絵理香は他人の気持ちを読み、操るのが得意。美少女の由季子は、その外見ゆえに自意識過剰気味だった。そして4人目が彼女たちの担任教師・秋澤の妻である。

ごく普通の男であるはずの秋澤を触媒に4人の女たちの心が化学反応を起こす。一人の行動が、玉突きのように他者へと影響を与えていくのだ。感応連鎖である。

自らの人生における主人公は自分だ。そんなヒロイン同士は、互いの眼にどう映っているのか。どう思われているのか。何気ない日常が女たちの戦場と化すのだ。


そして、なんとも不思議な味わいの長編小説が、『幸福な日々があります』(集英社)。ここにはヒロインである「わたし」が2人いる。結婚したばかりの幸福な時代の「わたし」と、夫と別れようとしている10年後の「わたし」が交互に登場するのだ。

森子は46歳の専業主婦。3つ年上の夫は大学教授だ。見た目も穏やかな性格も、森子を大事にする気持ちにも文句はないはずだった。しかし、森子は突然宣言してしまう。親友としてはすごく好きだが、「夫としてはたぶんもう好きじゃないんだよね」と。離婚に応じようとしない夫を家に残し、ひとり暮しを始める。

10年前に結婚した時も言いだしたのは森子のほうだ。どこか安心したかったからだが、望み通りの生活に入ってからも時々心が揺れた。たとえば夫は何でも習慣化する。森子は単純作業は好きだが習慣は苦手だ。「しなければならない」という雰囲気、ルールめいた感じが窮屈なのだ。他人には贅沢と思われそうだが、森子は誰にも言わなかった。

物語は10年を行ったり来たりしながら、ゆっくりと進んでいく。連載時のタイトルは「十年日記」であり、心の動きがまさしく詳細に書き込まれている。人はなぜ人を好きになり、なぜそうではなくなっていくのか。夫婦の深層にじわりと迫っていく。


最後に、『ぜんぜんたいへんじゃないです。』(朝日新聞出版)は、朝倉さんの初エッセイ集。当時50歳だった“新人”作家の日常は、恋愛や冒険や蘊蓄に溢れているわけではない。それなのに、独自の“おかしみ”につい引き込まれてしまう。中でも母親をめぐる「京子レジェンド」は必読です。

【気まぐれ写真館】 今年も、梅咲く  2017.01.06

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