楽しみにしていた、宮崎駿監督最新作「風立ちぬ」を観てきました。
で、先に言っちゃうとですねえ・・・・
何だか割り切れない気持ちで、映画館を出ました。
いや、宮崎作品としての見どころはいくつもあります。
「堀越二郎」という実在の人物。
飛行機、そして「飛翔感」。
「ものづくり」という生き方。
「堀辰雄」的世界。
初の「恋愛」映画(ラブシーンだってある)。
関東大震災を通じて描いた「震災」(このシーンの映像がすごい)。
そして、この国が経験した「戦争」・・・・。
しかし、それでも、もやもやした感じは消えません。
私も、子どもの頃からの飛行機好きです。
九式やゼロ戦などの戦闘機も嫌いではありません。
でも、それが飛行機であると同時に兵器であることは、ずっとどこかで引っ掛かっていました。
宮崎監督も、「美しくも呪われた夢」と表現しています。
映画の中の堀越二郎が「自分は美しい飛行機を作っているんだ」と言っても、やはりそれだけでは割り切れないはずで、その辺りを二郎はどう思っていたのか。
戦後、堀越二郎は「自分にも戦争責任があると言われているようだが、私はないと思う」と言ったそうだが、葛藤は本当になかったのか。
また、描かれている“時代”について、宮崎監督はパンフレット巻頭のメッセージで「まことに生きるのに辛い時代だった」と書いています。
そう、震災や戦争ですから、そうかもしれません。
しかし、この映画の中の二郎も菜穂子も、「避暑地の恋」が可能な、堂々の富裕層であり、震災や戦争の厳しさも、いわゆる庶民が味わったそれとはレベルが違うように思います。
それがいけない、と言うわけではないのですが。
まあ、そんなこんなで(端折って言えば)、二郎や菜穂子をはじめとする登場人物たちに、あまり感情移入することが出来ませんでした。
そして、全体の印象が、何とも、とらえどころがないのです。
宮崎監督が伝えたかったことも、私には、いまいちよく分かりませんでした。
残念ですが、これが見終わった直後の正直な感想です。
それにしても、自分の「好きなこと」「好きなもの」を、作品という形で思い切り表現できるなんて、監督冥利に尽きるでしょう。
しかもそれをたくさんの人が、お金を払って観てくれる。
さらに専門家たちも含め、「巨匠の新作」に多くの賛辞が寄せられるのです。
ふと、晩年の頃の黒澤明監督を思い浮かべました。
結果的に最後の作品となった『まあだだよ』(1993年)は、今回と同様、何だか割り切れない気持ちで映画館を出た記憶があります。
「巨匠であり続けることはシンドイことなんだなあ」と、その時も思いました。
とは言いながら、いつも宮崎アニメの新作を待っているし、新作が登場すれば、きっと勇んで観に行く私であります。