発売中の週刊現代で、ベッキー「涙の謝罪」放送についてコメントしました。
以下は抜粋です。
詳しい内容は本誌をご覧ください。
ベッキー「涙の謝罪」
公共の電波を使ってまでやることですか?
記事では、
・TBS「金スマ」で放送された、中居正広との「対話」の内容
・結果的に高視聴率獲得
・局内が浮かれムードだったこと
などが述べられた後・・・
しかし、ちょっと待ってほしい。常識ある人ならば、「彼らはどこかズレている」と思うのではないだろうか。
上智大学・碓井広義教授が言う。
「考えてみれば、当事者であるベッキー、川谷さん、離婚した彼の元奥さんの3人で話し合えば済む問題。わざわざテレビを使って見せ物にする必要はありませんよね。
結局、関係者は『ベッキーの商品価値が落ちる前に出したい』というビジネス上の都合しか考えていない。そこに『川谷さんの元妻がどう思うか』といった配慮や見識はまったくないわけです」
川谷の元妻は放送後、「ベッキーは、私に謝罪する前に『金スマ』の収録を終え、しかもそのことを謝罪時点で隠していた」という旨を明らかにしている。
確かに、この経緯が事実であれば、「筋が違う」と糾弾されても仕方がないだろう。
さらに、こうした「筋論」以上に強調しておきたいのは、「そもそもこれが、ゴールデンタイムの枠を使って全国民に喧伝すべき映像だったのか」ということである。
ひとりの女性タレントが涙を流す姿を、曲がりなりにも「公共の電波」にのせて大げさに放送することに、いったいどのような社会的意義があったというのか。
「本当にベッキーは『国民的タレント』なのでしょうか。大女優でもなければ、名司会者でもない。厳しい言い方をすれば、『ベッキーをどうしても見たい』という視聴者がどれほどいるのか疑問です」(前出・碓井氏)
――中略――
視聴率を稼ぐのが、テレビ局にとって最大の使命であることは分かる。だが大人の視聴者もいるのだから、モノには限度があるだろう。
(週刊現代 2016.06.04号)