「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。
山室寛之
『背番号なし 戦闘帽の野球
~戦時下の日本野球史1936-1946』
ベースボール・マガジン社 2484円
今年の8月7日、マイアミ・マーリンズのイチローが通算3000本安打を達成した。メジャーリーグで30人目という快挙だった。イチローがアメリカに渡ったのは15年前。現在はイチローの他にも、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有などメジャーで活躍する日本人選手が何人もいる。衛星中継の画面で彼らの姿を眺めるのも日常の風景だ。
しかし、元・読売新聞社会部長で巨人軍球団代表も務めた山室寛之の新著『背番号なし 戦闘帽の野球』を読むと、アメリカで日本人がプレイするどころか、日本野球そのものが消滅の危機に瀕した時代があったことがわかる。
昭和16(1941)年の真珠湾攻撃によって、野球は「敵国のスポーツ」となった。2年後、文部省は「戦時にふさわしい学校体育」を選定し、野球とテニスを除外する。夏の甲子園大会は朝日新聞の手を離れて文部省の管轄になり、六大学野球の春リーグも「戦時にあわず」と中止。映画にもなった「最後の早慶戦」が行われたのはこの年の秋だ。
さらに陸軍から日本野球連盟に、「野球用語をすべて日本語にせよ」という驚くべき通達が届く。その結果、ストライクは「よし、一本」、アウトは「ひけ」、ファウルが「だめ」と言い換えられる。だが、これらはまだマシなほうで、走軽打(スクイズ)、迎戦組(ホームチーム)、圏外区域(ファウルグラウンド)など奇妙な漢字表記の用語が並んだ。
国と軍の締めつけが強化され、選手たちにも続々と召集令状が届く中、それでも野球を守ろうとする人たちの見えない努力が続く。著者は関係者が残した貴重な日記、取材で得た証言、膨大な資料などを駆使して、この困難な時代の野球史を丁寧に可視化していく。本書を支えるのは、野球が、「日本精神」や「国防力」などと重ねて語られる時代が二度と来ないことへの切実な願いだ。
山口敬之 『総理』
幻冬舎 1728円
最高権力者の実像を伝えるジャーナリズムか。それとも巧妙なプロパガンダか。元TBS政治記者による話題の書だ。第一次安倍内閣の崩壊。5年後の総裁選。そして経済と安全保障の政権運営も、著者しか語り得ない”事実”がここにある。判断するのは読者自身だ。
鈴木義昭
『「世界のクロサワ」をプロデュースした男
本木荘二郎』
山川出版社 1944円
『生きる』『七人の侍』など数々の黒澤明監督作品でプロデューサーを務めたのが本木荘二郎だ。しかし、黒澤自身が語りたがらなかったこともあり、日本映画の”正史”から置き去りにされてきた。本書は初の本格評伝であり、毀誉褒貶の人間像に迫った労作だ。
李 相哲
『金正日秘録
~なぜ金正恩体制は崩壊しないのか』
産経新聞出版 1836円
今、なぜ金正日なのか。東アジア情勢に通じる著者は、北朝鮮の「あらゆる事象に金正日の影が投影されている」と言う。特に金正日の特徴である優越感と劣等感、自己顕示欲、誇大妄想癖、経済と核を追う姿は完全に正恩と重なる。今後、北朝鮮を探る重要文献の一つだ。
(週刊新潮 2016.09.29号)