北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、ドラマ「やすらぎの郷」について書きました。
倉本聰脚本「やすらぎの郷」
真昼に起きたドラマ革命
この4月に始まった倉本聰脚本「やすらぎの郷」(テレビ朝日―HTB)。放送は平日の昼12時半からの20分枠だ。
現在のテレビを支える“大票田”でありながら、高齢者層はずっとないがしろにされてきた。このドラマ、高齢者による、高齢者のための、高齢者に向けた作品という一種の反乱、いや真昼の革命である。さらに高齢者しか楽しめないかと言えば、そんなことはない。ストーリーと登場人物たちの魅力が多くの人をひきつける。
主人公は倉本自身を思わせるベテラン脚本家の菊村栄(石坂浩二)。物語の舞台は、海辺の高台にある「やすらぎの郷」という名の老人ホームだ。ただし住人たちは単なる高齢者ではない。かつて一世を風靡(ふうび)した芸能人や作り手であり、テレビに貢献してきたという共通点を持っている。
しかも演じるのは倉本の呼びかけに応じた浅丘ルリ子、有馬稲子、八千草薫といった本物の大女優たち。ノスタルジーに満ちた“虚実皮膜”の人間模様がこのドラマの第一の見どころだ。
たとえば浅丘ルリ子と石坂浩二は実生活で30年間も夫婦だった。倉本が書いたドラマ「2丁目3番地」(日本テレビ―STV、1971年)での共演をきっかけに、夫婦役が本物になったのだ。結婚から46年、また離婚から17年の元夫婦が倉本ドラマで再び共演している。
さらに結婚前は石坂の恋人だった加賀まりこも共演者の一人だ。本人・元ヨメ・元カノの3人がバーのカウンターに横並びとなり、石坂をはさんで座っている光景は、このドラマならではの名場面だろう。
第二の見どころは、長い間この国と芸能界を見続けてきた菊村が口にする警句、鋭い社会批評、そしてテレビ批判である。それは介護問題からテレビ局の視聴率至上主義、さらに禁煙ファシズムとも言うべき風潮にまで及んでおり、それらがスリリングにして痛快なのだ。
倉本は自身を投影させた菊村を通じて、社会やテレビ界に対して「言うべきことは言う」という姿勢で臨んでいる。「やすらぎの郷」は生きるとは何かを問う人間ドラマであると同時に、テレビと半世紀以上も真剣に向き合ってきた倉本の果敢な挑戦でもあるのだ。
人は誰でも老いる。「やすらぎの郷」の住人たちが抱える過去への執着、現在への不満、残り火のような恋情、病気や死への恐怖、芸術や芸能への未練などは、形こそ違うが私たちと共通のものだ。高齢化社会の“最前線”を、タブーも含んだ独自のリアルとユーモアで描くドラマとして目が離せない。
(北海道新聞 2017年05月02日)